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翻译《村上さんのところ》—— 11-15个问答

翻译《村上さんのところ》—— 11-15个问答

作者: 陌上樱花 | 来源:发表于2016-11-04 16:41 被阅读47次
《村上さんのところ》

11)「フラニーとズーイ」は面白い

「フラニーとズーイ」非常有趣

PS:村上春树曾把这两本书翻译成日文

「フラニーとズーイ」是J.D.Salinger的《Franny and Zooey》,中文翻译为《弗兰妮与祖伊》

「キャッチャー~」是J.D.Salinger的《The Catcher in the Rye》,中文翻译为《麦田里的守望者》

質問:

こんにちは。埼玉県に住む男です。私は読書がすきなのですが、和訳本を読むのが少し苦手です。というのも、文法構造の違いなどに起因すると思われる、妙に回りくどく角張ったような和訳に出会うことが多く、なかなか馴染めないからです。

您好!我是在埼玉县居住的男生。我非常地喜欢读书,不过不太擅长阅读英译日的书。在这之中,我想很可能是语法构造的差异而造成,经常会碰到很多奇怪得生硬的,啰嗦的这样的英译日,非常难以适应。

村上さんは、これまでに多くの作品の和訳にも携わっていらっしゃいますが、和訳の際に大切にしている決める事のようなものがあれば、教えてください。また、これまでに一番和訳に悩んだ英語表現についても、その表現が使われた作品と併せて教えていただければ嬉しいです。

村上先生至今为止参与了很多作品的英译日的翻译,在英译日的时候,若有最重要的,起决定性的东西,还请告知。另外,至今为止在英译日里最让人苦恼的英文表现形式,以及使用了该表现形式的作品,若是能一并告知的话,会非常的高兴。

回答:

翻訳された海外の小説は、どうしても文章が「普通の日本語の文章」とは少しずれたところに落ち着いてしまいます。地の文章もそうですし、会話もそうです。出来るだけ普通の日本語に近づけようとしますが、やはり超えられない一線みたいなのがあるようです。原文に忠実にあろうとすると、どうしてもそうなってしまいます。「だから海外の小説は読まないんだ」という方も多くおあれると思います。

翻译过来的海外的小说,无论如何,文章多少会与「普通的日本语的文章」的落脚点有偏离的地方。实际的文章是如此,会话也是如此。虽然尽量接近普通的日本语,可总是有那么一条超越不了的界线存在。本想忠于原文的,可无论如何也只能做到这样。我想「所以不能阅读海外的小说」这样的人是有很多的。

でも僕はそのような「ずれ」の中に、けっこう大きなポテンシャルが潜んでいるのではないかと思うんです。そういう「ずれ」が、逆に日本語に新しい可能性ようなものを与えているのではないかと。ですから、そういう意味で、僕にとってとても良い勉強になっています。

不过我想在那个所谓的「偏离」里面,不就是隐藏着相当大的可能性吗。那种「偏离」,不就是可以赋予与日本语相反的新的可能性之类的东西吗。所以,那种意义,对我来说,是非常好的一次学习。

僕が苦労した翻訳はたくさんありますが、一番大変だったのは去年の三月に出したサリンジャーの「フラニーとズーイ」ですサリンジャーの練りに練られた、凝った強固な文体を日本語に置き換えていくのは、実に至難の業でした。サリンジャーが「キャッチャー~」を乗り越えるために、どれくらい念入りに自分の文体を再構築していったか、訳しているとそれがひしひしとわかります。まさに力業です。訳すのはむずかしかった。でも面白かったなあ。

我认为的辛苦的翻译是有很多的,最难的莫过于去年3月份出版的サリンジャー的「フラニーとズーイ」。要把サリンジャー那洗练的,凝炼坚固的文体置换成日本语,确实是极困难的一项工作。サリンジャー为了超越「キャッチャー~」,对自己的文体做了如何多的细致周密的重新构筑,在翻译的时候,对此是深有体会。确实是体力工作。翻译的时候是困难的。不过也是有趣的呢。

12)純文学か大衆文学か

纯文学还是大众文学?

質問:

村上さんは、自分のことを純文学者と思われますか?大衆文学者だと思われますか?どれほど読者を意識しながら小説を書いていらっしゃるんですか?

请问村上先生,您认为自己是纯文学工作者还是大众文学工作者呢?您是以什么样的读者为意识写小说的呢?

回答:

僕は最初に「純文学」の雑誌の新人賞を受け、それからも「純文学」関係の賞をいくつか受けていますので、いちおう「純文学」フィールドにカテゴライズされていますが、最近はお互いに越境する作家たちが多く、何が純文学で何が大衆文学(エンタメ系)かというかカテゴライズはとてもむずかしくなっています。というか、カテゴライズする必然性がどんどん希薄になってます。お互いに方法を交換し合うということも多くなってきているからです。たとえば純文学の作家がSFの手法を取り入れるとか、ミステリーの作家が「マジック・リアリズム」の手法を取り入れるとか。

最开始的时候,我获得「纯文学」类杂志的新人奖,之后也获得过好几个与「纯文学」有关系的奖项,姑且可以被归类为「纯文学」领域,不过最近跨界的作家们多了起来,要区分什么是纯文学什么是大众文学(娱乐类)这样的分类变得非常得困难。或者说,分类的必然性渐渐变得不那么需要。因为相互之间交换方法的事情也变得多了起来。例如,纯文学类的作家采用SF的写作手法,又或者推理小说类的作家采用「魔幻现实主义」的写作手法。

というわけで、僕が「これは純文学だ」と意識して小説を書いてるかというと、とくにそんなことはありません。でも心の底で「これは娯楽小説ではない」という意識はいくらかあります。娯楽小説ではないというのは、言い換えれば、作者が読者に対してある種の、ある程度の努力を要求することだろうと僕は考えています。いうなれば、咀嚼力を要求するということです。「ここから先は自分の歯で噛んでくださいね」ということで怒ったり、不満を寄せられたりする読者がいます。僕はそういうとき「申し訳ありませんが、こういうものなので」というしかありません。逆に「もっとしっかり噛ませろ」と文句を言う読者もいます。そいうときにも僕は「申し訳ありませんが、こういうものなので」というしかありません。むずかしいものですね。

也因为此,要说我以「这是纯文学」这样的意识去写小说,这样的事情是没有的。不过,在心底里面「这不是娱乐小说」这样的意识多少还是有的。不是娱乐小说,换句话说,我想是作者对于读者属于某种类型,具备某种程度上的努力是有要求的。说起来,就是要求咀嚼的能力。对于「请先从自身出发咀嚼消化」这种事情感到愤怒,寄予不满的读者是有的。这种时候,我只能这样说「实在非常抱歉,的确是这么一回事」。反过来,也会有读者这样抱怨说「更加紧紧地咬住不放」。这种时候,我也只能说「实在非常抱歉,的确是这么一回事」。真的是挺困难的一件事情呢!

ということでよろしいでしょうか?

就是这么一回事,不知道是否还好?

13)多様性という美点

多样性这样的优点

質問:

はじめまして。

私は村上さんの小説も猫も大好きす。理由を考えることもなかったし、至極自然に好きだったので大人になって、真逆の人も少なからずいることがとしても驚きでした。

今はいろんな人がいるなぁと分かったような顔をして生きていますが「猫嫌い」だの「村上春樹、良さがわかんない」だの言う人がいる驚きは鮮烈でした。

村上さんが一番驚いたのはどんな嗜好ですか?あと、何猫がすきですか?

私は「茶トラで太ってるオス」です。

初次见面。

我非常喜欢村上先生的小说和猫。并没有思考过是什么理由,只是因为万分自然地喜欢而已。成为大人之后,对于存在与自己完全相反的人这样的事情感到极为吃惊。

虽然现在是以知道有各种各样的人存在的姿态生活着,不过对于说「讨厌猫」啦「不清楚村上春树有什么好」啦之类的人感到深深的震惊。

最让村上先生惊讶的爱好是什么?还有,喜欢什么样的猫呢?

我喜欢「老虎茶色,胖乎乎的雄猫」。

回答:

世間にはもちろん「猫が嫌い」という人もたくさんいますし、「村上春樹は気に入らない」という人もたくさんいます。多様性は世界の持つ美点のひとつです。みんなが猫す好きで、みんなが僕の小説を読んでいるような世界は、きっとそれなりに息苦しいと思いますよ。よかったらこれからも僕の本を読んでください。僕は気の良い雄の黒猫が好きです。性格のきつい雌のシャムような猫もすきです。

在这个世上当然有很多「讨厌猫 」的人存在,也有很多「不喜欢村上春树的人」的人存在。多样性是这个世界拥有的一个优点。所有人都喜欢猫,所有人都在读我的小说这样的世界,一定会相应地令人窒息。要是愿意,还请从今以后也阅读我的书。我喜欢性格温和的雄性黑猫。也喜欢性格刚烈的雌性暹罗猫。

14)ペンは剣より強い方がいいんでしょうか?

笔比剑强的话好吗?

質問:

村上さん、こんにちわ。今日は風が冷たいですね。でも福岡の空は青色です。実は、高校生のころから村上さんにお聞きしたいことがありました。満を持して、お尋ねします。

「ペンは剣よりも強し」だと思いますか?

村上先生,您好!今天的风冷飕飕的。不过福岡的天空是蓝色的。实际上,在我还是高中生的时候,就有想向村上先生询问的东西。现在带着满满的疑问来问了。

村上先生认为「笔比剑还要强」吗?

回答:

すごく正面切っての質問で、びびってしまいます。ぺんは剣よりも強いか?そのとおりです。ペンは剣よりも強いですよ、もちろん、と断言したいところですが、昨今なかなかそうとばかりも言えない部分がおおいです。テロもありますし、ネットの炎上みたいなこともあります。ものをかくときにはじゅんぶん用心深くならなくてはなりません。

这是个相当直接了当的问题,让我不禁有点怯场。笔比剑还要强?是可以这样理解。笔是比剑还要强哦,当然,即便想这样断言,不过最近不能仅仅这样说的情况非常多。有恐怖主义,也有网络上的批判。写东西的时候不得不非常地小心谨慎。

僕は普段は、基本的にむしろ「ぺんがあまり強くなりすぎないように」ということを意識して文章を書いています。僕の書く文章ができるだけ人を傷つけることがないようにとおもって、言葉を選ぶようにしています。

我平常,基本上宁愿带着「笔也并不能变得那么强」这样的意识写文章。我写的文章会出于尽可能不伤害到人的考虑,而选择言词表达。

でもそれはとてもむずかしいことで、何をかいてもそれにようって傷ついたり、腹を立てたりする人が、多かれ少なかれ出てます。これはある程度しょうがないんです。でも、それにもかかわらず、できる限り、人を傷つけない文章を書くことを心がけなくてはならない。これは文章を書く人間にとっての大事なモラルなのです。

不过那是非常困难的事情,不管写什么,因为这些内容而受伤,感到愤怒的人,多多少少也会有的。这是有点没有办法的事情。不过,尽管如此,还是要留心尽己所能不写伤害到人的文章。这对于写文章的人来说是重要的道德观念。

でもそれと同時にいざ闘うべきだと思ったときには、闘えるだけの胆力(ぐっと腹に入れる力のことです)を蓄えておかなくてはなりません。でもそれは本当にいざというときのためのものです。みだりにペンを剣より強くしちゃうのは危険なことです。と僕は個人的に考えています。ほかの考え方をする人もいるでしょうか。

不过,想着要同时与这斗争的时候,就不得不积攒仅是斗争的胆量(猛地进入肚子里的力量)。不过那真的是不在紧急的时候就不行的事情。任意地让笔强于剑是危险的。这是我个人的考虑。估计还有做其他考虑的人吧。

15)好きなことは仕事になり得るのか

喜欢的事情能成为工作吗?

質問:

好きな事を仕事にしたい、ということについてどう思いますか。私は「仕事」である以上好きとか嫌いとかでないとおもうのですが。好きなことを仕事にしたら好きなことではなくなると思うのですが、村上さんは好きな事が仕事になっていますが、仕事は好きなことですか。

想让自己喜欢的事情成为工作,对于这个村上先生是怎么想的呢?我对「工作」并没有超过它本身的好感或者是厌恶。我想的是如果把喜欢的事情变成工作,那就会变成不喜欢的了,不过村上先生有让自己的喜欢的事情变成工作吗?喜欢自己的工作吗?

回答:

僕はとにかくジャズが好きで、七年ばかり東京でジャズクラブを経営していたのですが、その店を売って専業小説家になって、それから三年くらいはほとんどジャズがきけませんでした。だから毎日、クラシックとロックばかり聞いていました。なんだかぐったりと、ジャズに疲れてしまったんです。好きな音楽なのに、聴く気にもなれなっかった。好きなことを商売にすると、それくらいの反動があります。でもやはり嫌いなことを仕事にはできないでしょうね。むずかしいところです。

我无论如何是喜欢爵士乐的,曾在东京经营一家爵士乐俱乐部足足7年的时间,后来把那家店卖了成为一名职业小说家,从那之后将近三年几乎没有听过爵士乐。因此每天,只是听古典乐和摇滚乐。总觉得精疲力竭,对爵士乐感到疲乏。明明是喜欢的音乐,却没有想要听的心情。把喜欢的东西变成买卖,与之而来的反作用也会出现。不过归根结底讨厌的事情是成不了工作的吧。挺困难的。

翻译by本人,陌上樱花。因个人能力有限,不妥之处请见谅。


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