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「日中双语」1968年—自此半世纪

「日中双语」1968年—自此半世纪

作者: 戎茜RongXi | 来源:发表于2018-07-11 09:26 被阅读5次

1968年—自此半世纪

文章来源:東京新聞 | 文化 | 考える広場

翻译编辑:戎茜

校对定稿:弥生

 1968年是一个动荡的年代,不仅是我国,更于世界。今年是2018年,整整过去50年,东京新闻组此稿也颇有意义,那么让我们看看邻国是如何看待彼时此时的吧。

译者说

一共三期的稿件并不能说是完美,但从多方面反应了日本社会对于“革命”、“政治”的反思。这算是多元文化棱镜中的一面,也值得我们多加思索。

      1968年,日本社会动荡飘摇。全国各地大学中“学园纷争”之火熊熊燃烧。文化、艺术领域中,也劲吹试验之风。斗转星移,时代变迁,半个世纪过去,如今的年轻人们——

<学园纷争>

学园纷争是指20世纪60年代后半期,日本各地爆发的学生运动。通过罢工、建街垒,实行大学校园内设施的封锁,学生和机动队的冲突也频频发生。东京大学内的安田讲堂也被学生占领。69年1月,机动队出动,大多数学生遭到逮捕。学生运动在世界各国频发,便产生了“学生力量”(译者按:Student Power)一词。68年5月,法国发生五月革命最初也是以学生运动为开端,后扩展到工人和农民,进而席卷全国。

◆ 不到“叛乱”地步的时代 | 原东大全共斗本乡学生队长、体质人类学学者 岛泰三

岛泰三

      说1968年是何样的年份?在美国,四月马丁·路德·金牧师被暗杀,六月是参议院议员罗伯特·肯尼迪。同时陷入越南战争的泥沼之中。日本的学生运动便是在这样的世界局势及时代背景中发生的。

      学生们想对持续变化的世界的一切进行反对。年轻人对包含长辈在内全部的现存体制的反对。实际上,若不是对自身存在的世界和社会文化的根基有深刻理解的话,那这样的反抗就没有根据。但年轻人没有理解到那样的地步,故只能对当下很明显的不正行为进行反对。

      那明显的不正行为,便是指对东大医学部学生的不当的处分、日本大学内的巨额用途不明钱款。而且,学费上涨酿成问题的大学也有很多。各大学的学生们开始对于容易掌握的明显不正行为进行发声,这便是学生运动之始。通过采取反抗身边不正行为的形式,一下子爆发了对自身的不安以及对这一代人的不满。我认为,这是处于人口增加时代的青年的“叛乱”。

      从68年6月机动队进入东大校园的那天开始,我便决定参与到运动当中。我根本没有想到机动队这样的暴力机构会进驻到一个学术场所。学校当局是否会把学生如蝼蚁般对待?要是这样的话,我们便没有容忍的理由了。而对于这样做的结果,自己做好可以坦然接受的准备时,也就一切都释然了。

对于如今发生的严峻问题,学生们未采取任何动作,全共斗1这一辈人对此很是愤慨。当然,这都是老人的胡话。因为未从历史及社会的制约中踏出一步,就无法对事物进行客观的判断之。而我们作为上一辈的人,对此也只能痛惜后一辈的窝囊。

      在日本大学——用途不明钱款——这个问题上,负责会计的员工自杀了。从那开始,日本的大学运动便开始了。今日森友学园问题上,财务局员工也自杀了。事实上是因为同样的问题。但是否能作为社会问题走到“叛乱”的地步,也就因时代背景而异了。

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① 全共斗:全学共斗会议的简称。是20世纪60年代后半期于日本全国兴起的学生组织,是学生运动的主体。


◆ 作为“自己的事”谈政治 | 模特、女演员 中川ERINA

中川负责着一个名为“Making Love Club”(MLC)的文化活动组织及其杂志,在这里可以将政治、爱、性放在同一台面上进行沟通交流。从正面谈论政治会令人敬而远之,于是她便着眼于隐藏在身边的时尚、文化及个人人生观中的政治性。非“别人的事”,而是“自己的事”。使“政治”能够想象。以此为起点,拓展政治的界限。

       前参加过SEALDs①,有一些未竟之事,想继续做下去,便于去年三月开始创办了“MLC”。我感觉,SEALDs中对于“自己的语言”的传达是有限的。媒体报道也净是拉普②式的声音。其饱含着每一个人对于政治的想法的演讲并未被采纳,我非常沮丧地和其他成员说“这里只有我们叫嚣的样子。”

      但可确定的是,每个人在独自思考、判断的过程中所创造出的语言具有隐匿的可能性。我想,若改变结构,更易于传播。

      我对于政治最初的思考是在高三决定报考大学神学系的时候。那时我常去教会的神父是一位进行反核电站等说教的人。之后,我便开始觉得,人类是不完全的存在,因此必须要直面社会问题。若没有该认识的基础,便很难把政治作为自己的事情来思考。

中川ERINA

      我19岁生日的时候参加了第一次游行。当时,安全保障相关法案进行审议,我在首相官邸附近进行静坐示威。我上传了如今说的Ins流③照片,得到了很多转发。大家觉得很有意思并且知道了SEALDs的存在。改变了他们对于示威的“老土”、“恐怖”的印象。

      MLC中也有像问“宪法九条是什么?”这样的成员。但也有人说 “关于政治能有所思,太好了!”。我非常高兴能影响着这样的人们。

      更多来参加活动的人,对政治性发言既没有好印象,也没有坏印象。虽然英美对政治的关心程度本身很高,但就像也有特朗普的隐形选民,在人前不能表明其支持态度。所谓“就应该是这样!”的想法过于固化。若未抱固有观念,用自己的语言进行阐述的话,说不定是个机会。

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① シールズ/SEALDs:英语Students Emergency Action for Liberal Democracy-s的简称。以保护自由、民主的日本为己任的学生运动组织。2015年左右,为反对第三次安倍内阁强推日本和平安全法制而成立。2017年左右解散。

② 拉普:RAPP,俄国无产阶级作家联合会。

③ Ins流:Ins流:Instagram发布的好看、美观、充满高级感的照片。虽然,本来是用来称呼不光照片本身美观,本来也包含去高档餐厅等内容的Ins照片。有时也用来表示非常上镜等意思。另外,该词于2017年12月,获日本2017年“U-CAN新语及流行语大奖年度大奖”。


◆ 先锋的粒子今日亦存 | 散文家、评论家 四方田犬彦

      从1968年到1972年的五年,不仅日本,全世界多次同时发生了很多事情。在美国,马丁·路德·金牧师被杀,引发了黑人行动,各大学都被学生占领。德国也是如此。法国爆发了五月革命。意大利持续发生大规模罢工运动。在巴勒斯坦,阿拉法特首次组织了以对抗以色列为目的的反抗运动。所有事件一下子爆发了。

      文化亦是如此。彼此间并没有事先商量好,但各实验、先锋活动以不同形式“啪”地一下爆发了出来。彼时的日本,民众不富裕,裸体写真都被禁止,获取海外信息也不顺利,因此就想搞点什么新东西出来。英国、法国、日本在彼此不知情的情况下各自进行的实验都具有相似性。这是历史的瞬间,世界文化首次在同一时间的基础上发生、发展。

      我们策划并在发行的评论集《1968》系列(筑摩选书)运用了众多的史料,回顾了此前那些先锋实验。作为生活在那个时代人的责任,我们想向高中生、大学生、外国的日本研究者们表现五十年前的日本文化状况。就是说统计学家、社会学家会说的。比如,当时班里听甲壳虫乐队的只有两个人,便会说并没有什么甲壳虫乐队热。这种说法里也包含了对少数派势头的反击,说白了就是打压他们。

四方田犬彦

      自那之后半个世纪,我常听到有人问:“如今还有先锋吗?”,有回答说“不是没有了吗?”。不不不,绝对是有,也应该是有的。只不过是我们偷懒没有看到,或是媒体没有报道而已。因为先锋是很难见到、很难存在的。

      想想1968年,我们能记住的只有那些经典事件。但是,在其背后有着如粒子般无数的尝试。先锋并不是为了青史留名,而是在当下体现一个时代。哪怕最终消失也是好的。因此,消失在历史记忆中的事物不胜枚举。

      《1968》系列丛书便是要尽可能的收集那些“例子”。虽说是粒子,但并非是被绝对商品化或管理后的产物。事实上,它们就是那个时代本身。


日语原文

一九六八年、日本は激しく揺れていた。各地の大学で学園紛争の火が燃え上がり、文化・芸術の世界では前衛の風が吹いた。半世紀が過ぎ、時代は移ろう。そして、今の若者たちは-。

 <学園紛争> 

1960年代後半、各地の大学で起きた学生運動。ストライキ、バリケードによる学内施設の封鎖などが行われ、学生と機動隊の衝突も頻発した。東京大では安田講堂を学生たちが占拠。69年1月、機動隊が導入され、多くの学生が逮捕された。学生運動は世界各国で起こり「スチューデント・パワー」という言葉が生まれた。68年5月にフランスで起きた5月革命も当初は学生たちの運動だったが、労働者や農民が加わり、全土に拡大した。

◆「反乱」に至らぬ時代 元東京大全共闘本郷学生隊長・自然人類学者 島泰三さん

 一九六八年はどんな年だったかというと、米国では四月にキング牧師、六月にはロバート・ケネディ上院議員が暗殺され、ベトナム戦争は泥沼化していました。大学闘争はそういう世界情勢、時代背景の中で起きた出来事です。

 学生たちは、変わっていく世界のすべてに対して反対したかったのです。若者は親の世代も含めてあらゆる既存の体制に反対する。本当は自分たちも住んでいる世界と社会の文化的基盤を深く理解した上での反抗でなければ根源的なものにはなりません。しかし、若者はそこまで考えていなかったので、当面は明白な不正に対して反対したのです。

 その明白な不正が、東大の場合は医学部生の不当な処分、日大では多額の使途不明金でした。授業料値上げが問題になった大学も多くありました。それぞれの大学の学生たちが、捉えやすい明白な不正に対して声を上げたのが大学闘争の始まりです。間近にあった不正に反抗するという形をとりながら、自分たちの不安と世代的な不満を一気に爆発させた。人口増加時代の青年たちの「反乱」だったと考えています。

 私自身は、六八年六月に機動隊が東大構内に入った日、闘争に参加しようと決めました。学問の場に、機動隊という暴力装置が入ってくるとは考えたこともありませんでした。大学当局は学生を虫けらのように扱うのか。そういうことならこちらも容赦する理由はない。その結果は自分で引き受けようと覚悟したとき、すっきりした気持ちになりました。

 全共闘世代の人たちが、今も大変な問題が起こっているのに学生たちは何も動かないと憤ってみせることがありますが、それは老人のたわ言です。歴史と社会の枠の中から一歩も外に出ていないので、物事を客観的に判断することができないときに、前の世代として後の世代のふがいなさを慨嘆してみせているだけだと思います。

 日大の使途不明金問題では、会計担当の職員が自殺したとされました。そこから日大闘争が始まりました。今、森友学園の問題でも財務局職員が自殺したとされています。実は同じことが起こっているんです。しかし、社会問題として「反乱」にまで至るかどうか、それは時代背景によって違うのです。


◆「自分事」で政治語る モデル・女優 中川えりなさん

 政治も愛もセックスも同じテーブルで話せるカルチャーイベント&マガジン「Making─Love Club」(MLC)を主宰しています。真正面から政治を語ると敬遠されてしまうので、身近なファッションやカルチャー、個人の人生観に潜む政治性に着目し、そこを起点に「他人事」ではなく「自分事」として想像できる政治の範囲を広げるイメージです。

 以前参加していたシールズでできなかったことをやりたくて昨年三月にMLCを始めました。シールズでは「自分の言葉」を伝えることに限界を感じていました。メディアで報道されるのはラップ調のコールばかり。政治に対する一人一人の思いを紡いだスピーチは取り上げてもらえず、メンバーと「私たち叫んでるイメージしかないね」と落胆したこともあります。

 でも、それぞれが孤独に思考し、判断した過程で生み出された言葉の秘める可能性には確信があった。枠組みを変えれば伝わると思ったんです。

 私が最初に政治について考えたのは、大学の神学部を受験すると決めた高三のとき。通った教会の神父さんが反原発など政治的な説教をされる方だったからです。以来、人間は不完全な存在だから、社会の問題に向き合わなければいけないと思うようになりました。これがベースにないと政治を自分のこととして考えるのは難しいですね。

 初めてデモに行ったのは十九歳の誕生日。安全保障関連法案が審議されていたときで、首相官邸近くで座り込みをしました。今で言うインスタ映えを意識した写真を載せたら、たくさんリツイートされて面白かったし、シールズの存在を知って「ダサい」「怖い」というデモのイメージが変わりました。

 MLCの参加者には「憲法九条って何?」みたいな人もいます。でも「政治について考えられてよかった」と言ってもらえることも。そういう人たちに響いているのはうれしいです。

 イベントに来てくれる人は、政治的な発言をすることに良い印象も悪い印象も抱いていない人が多いです。米英だと政治への関心自体は高いけど「こうすべきだ」というものが固定化されすぎて、人前で支持を表明できない隠れトランプもいる。固定観念がないということは、自分の言葉で語る上ではチャンスなのかもしれませんね。


◆前衛の泡粒今もある エッセイスト・評論家 四方田犬彦さん

 一九六八年から七二年の五年間、日本だけでなく全世界で同時多発的にいろんなことが起きました。米国ではキング牧師が殺され、黒人が行動を起こす。いろんな大学が学生に占拠される。ドイツでもそう。フランスでは五月革命。イタリアでは大規模なストライキが続く。パレスチナではアラファトがイスラエルに対する抵抗運動を初めて組織する。皆が一斉に立ち上がったのです。

 文化でもそうです。皆で示し合わせたわけでもないのに、いろんなジャンルで実験や前衛がぱーっと出てきた。日本では、みんなお金がなくて、ヘアヌードもだめな時代で、海外の情報もままならない中、何か新しいことをやろうとした。そして、英国で、フランスで、日本でそれぞれやっている実験が知らずに似ていたりしていた。それは、世界の文化が同時性の基に成立した歴史上初めての瞬間だったのです。

 そうした前衛的な実験を多くの資料も基に今によみがえらせる評論集『1968』シリーズ(筑摩選書)を企画し、現在刊行中です。あの時代を生きた世代の責任として、今の高校生や大学生、外国人の日本研究者に五十年前の文化状況を伝えたいと思ったからです。統計学者や社会学者は言うわけですよ。当時ビートルズを聴いていたのはクラスで二人ぐらいだった。だから、ビートルズブームなんてなかったと。そういう言い方で少数派のぶっ飛んでいるやつをつぶそうという動きへの反発もあります。

 あれから半世紀。「今でも前衛はあるのか」と聞かれます。「ないんじゃないか」と。いえいえ、絶対ある。あるはずなんです。私がサボって見ていない、メディアが取り上げていないだけで。それは見えにくい、残りにくいものだから。

 六八年を考えても、今の私たちは名作しか覚えていない。でも、その背後には泡粒のように何十、何百の試みがあったのです。前衛の目的は名作として歴史に残ることではなく、その場でぱっと時代を体現すること。消えちゃって良かった。だから、無名のままで消えてしまったものがいっぱいある。

 『1968』シリーズではそんな泡粒をできるだけ拾おうとしました。泡粒だけど絶対商品化されないもの、管理されないものを。実は、そういうものこそ、あの時代そのものだったのです。

文章来源:東京新聞 | 文化 | 考える広場 记录者:越智俊至、星野桃代、大森雅弥

原文连接:http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2018042102000214.html

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