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翻译的一篇文章:新干线杀人事件。家人角度重新认识小岛一朗

翻译的一篇文章:新干线杀人事件。家人角度重新认识小岛一朗

作者: 磊子6110 | 来源:发表于2018-06-20 16:09 被阅读0次

    《新幹線殺人》両親・祖母・伯父への徹底取材で見えた「小島一朗」ができるまで

    新干线杀人事件。家人角度重新认识小岛一朗

    2018年6月20日 6時0分

    [週刊女性PRIME]


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    「お前、将来どうしたいんだ、やりたいことはないのか、と聞くと“俺は死ぬんだ”“生きる価値はない”と言うんです」

    “唉,听你说活者没价值,想死这种话,没有自己想做的事,将来要怎么办呀”

    そう語るのは、新幹線のぞみ通り魔殺傷事件を起こした無職・小島一朗容疑者(22)と同居していた伯父(容疑者の母親の兄=57)だ。一朗容疑者は、養子縁組した祖母(82)の家(愛知県岡崎市)で、伯父夫婦も含め4人で暮らしていた。

    这句话,是和新干线希望号随机杀人事件嫌疑人小岛一朗(22岁,无职)住在一起的舅舅(57岁)说的。一朗是收养的孩子,和舅舅舅母一起住在爱知县冈崎市82岁的祖母家。

    「“人を殺して刑務所に行く”とも言っていた。“働かなくても生きていけるところ、それが刑務所だ”と。私が、お前、生きたいんじゃん、死にたいんじゃないだろうと言ったら黙ってしまってね」(伯父)

    “常言杀人就得进监狱,不工作还想享受,只能去监狱享受啦,我跟你说,你活着,还是死了,都跟我没什么关系的。“一朗的舅舅这样说。

    まさに嫌なことから逃げるための言い訳ばかり。

    这不过是逃避不喜欢事情的借口。
    

    「ホームレスになりたい」

    "希望可以无家可归"

    言い訳番長ともいえる自分に甘い逃げの発言だが、祖母は、「死にたい、絶望だとかよく言っとった」と証言。母親も事件後に出した声明文に、《自殺をほのめかしていました》と記している。生きることに投げやりで絶望した容疑者を、周囲は誰も救えなかったのか。

    上面这句话是祖母说的,祖母也证实,一朗确实说过“想死,绝望”这样的话。一朗的母亲后来也发表声明称“一朗确实常常暗示自己自杀的想法”。这个放弃活着的念头的嫌疑人,难道周围就没有人愿意帮助他么?

    事件は、6月9日午後9時45分ごろ、東海道新幹線東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車で起きた。

    6月9日晚上9时45分,在东海道新干线从东京向大阪的列车“希望265号”列车12车厢,发生了这起随机杀人事件。

    13号車で事件に遭遇した落語家、桂ぽんぽ娘(38)は、先週開催した落語会『第2回ちよりん・ぽんぽ娘二人会』の冒頭で、「突然、12号車からキャーという悲鳴」「逃げてきた人が連結部分でドミノ倒し」「通路が血まみれ」などと生々しい様子を明かした。

    据13号车厢的目击者艺人“桂ぽんぽ娘(38岁)”向我们描述,上周在表演节目一开始,就“突然听到了12号车厢的呀呀的尖叫声”,“人们吓得逃跑,却像多米诺股牌一样都摔倒了”“车厢过道上都是血。”

    小島容疑者は突如、ナタと果物ナイフで、隣に座っていた女性2人に襲いかかった。騒ぎに気づいた梅田耕太郎さん(38)が助けに入ったが、切りつけられ命を落とした。

    犯罪嫌疑人小岛一朗,手持两把凶器,袭击了邻座的两名女性。看到骚乱现场的梅田耕太郎(38岁)前来阻止,也被袭击不幸丧生。

    「誰でもいいから殺そうと思った」と供述しているという小島容疑者が、職場や自宅から姿を消したのは昨年12月21日のことだった。

    据嫌疑人小岛供述,去年12月21日辞职并离家出走时就有了“不管看见谁都会捅”的想法。

    昨年11月から、岡崎市内の就労支援施設で働いていたのだが……。

    去年11月开始,小岛开始在冈崎市的一家就业保障机构开始工作了。。。

    「12月20日に、仕事を辞めたい、ホームレスになりたいと言い出しました。(辞める)意志は固いようで、じゃあ明日話そうと。それきり来なくなりました」(同施設職員)

    “12月20日,他就想辞职了,当时他说希望可以无家可归。他(想辞职的)态度很坚决,我跟他说明天再说吧,但是第二天他就没来了。”

    祖母には「仕事を続けられない自分が恥ずかしい。旅に出ます」と告げ、“4度目となる最後の家出”を決行する。

    祖母说她听到小岛说“工作做不下去,自己觉得很丢脸,想出去旅行。”这是第四次也是最后一次离家出走了。

    警察の取り調べでは、事件直前まで長野県でホームレス生活を送っていたという。そして身内の前から姿を消した半年後に、凶行に及んだ。

    根据警方提供的消息,直至事发前小岛离家后一直在长野县过着无家可归的生活。就这样过了半年,他的身影出现在暴力杀人事件中。

    言い訳グセがついた中学時代

    中学时就有找借口的毛病

    事件について実父(52)は、「許されない、取り返しのつかないことをしてしまい本当に申し訳なく思っています」そう謝罪を口にする。親子関係は、非常に悪かった。

    事件发生后,小岛的亲生父亲向公众和死者家属道歉,“我不会原谅他,做出这种无可挽回的事情,我真的感到很自责。”他们父子关系很差。

    「言うことを聞かず、子どものころは手をあげることもありました。中学になり、成績の悪い教科について、もっと頑張らないといけない、と話すと“〇〇君のほうが悪い”と返す。何度話しても平行線で、最終的には“僕はドベじゃないんだ”と泣き出す。

    “你们说的我不知道,他小的时候上课也会举手的,(那时还是个很好的孩子)。念初中时,有的课就不行了,不管怎么用功也跟不上。周围人骂他是渣学生,他假装听不见,但是最后还是会哭着说“我不是傻子”。

    中学では剣道部で、2年のときに1級に昇級したんですが、検定の後に“やめていい?”と言うんです。3年までやるのが部活だと言いましたが、遅刻するようになり、部活の先生から電話がかかってきていましたが、最終的には“練習の日を誰も教えてくれない”と行かなくなった。

    中学时在剑道部,初二时连1级都过不了,考试结果出来后,人家说他“你别学了”。到了初三时课外活动一迟到,老师就给我打电话,最后老师也放弃了,“练习的时候,谁也没办法教他了”

    中3になると“授業がわからない、友達がいない”と学校に行かなくなった」(実父)

    小岛的父亲说,初三时,小岛“课跟不上,朋友也没有”就不去学校了。

    自身の非を認めない言い訳癖はこのころからだった。親子関係、友人関係も希薄になる中、卒業式も欠席した。

    认识不到自己找借口的毛病,亲情友情也变得很淡,毕业典礼小岛也没去。

    「妻が自立支援施設で働いていましたから、中2ごろから連れて行っていた。卒業後は家を出て、自立支援施設に住むことになりました」(実父)

    小岛的父亲说“妻子在自立救助中心工作,所以他初二时常去那里,毕业后只要一离家出走,就会去自立救助中心住。”

    定時制高校に進学し、卒業後は職業訓練校に進んだ。

    之后高中毕业,小岛去了职业技校读书。

    同施設の代表は、

    「高校と訓練学校の計4年間住んでいました。トラブルは一切なく、お母さんも働いていますから、一生懸命フォローしていましたよ。高校の成績はオール5で、4年のところを3年で卒業しました」

    小岛母亲的同事说“他高中和技校时一共在这里住了四年。他不怕困难,因为他的妈妈也在这里工作,所以他也在这里很努力。高中的成绩相当优秀,四年的课他读了三年就毕业了。”

    事件後、母親は憔悴し、

    「“私は生きていてもいいのでしょうか”と。お姉ちゃんは、“一朗はここにいたときがいちばん幸せだった”と言っていました」(同代表)

    同事说,案件发生后,小岛的母亲很憔悴,说一郎在这里的时候是自己最幸福的日子,现在出了这样的事,“也不知道自己怎么活下去了”。

    祖母との生活を希望

    想和祖母住在一起

    2015年4月から小島容疑者は、機械のメンテナンスを行う会社に就職。同年8月に愛媛県へと配属された。

    2015年4月开始,小岛去了一家机械维修保养的公司工作,同年8月被分配到了爱媛县。

    「仕事はできるほう。同期の人にも教えていましたから」と同社社長。同年9月の法事では、充実の表情を見せていたという。実父が振り返る。「給料で服を買いました、時計を買いましたとうれしそうに話をしていました。帰り際に、駅でお小遣いに5000円を渡しました。ありがとうと素直にもらってくれてうれしかったのを覚えています」

    社长说:“他很能干呢,也愿意帮助和他一起新入的同事。” 小岛的爸爸也说,当年9月葬礼法事上,也看到了他充实的表情。

    “他说用工资买了新衣服,还买了新手表。回来的时候您还在车站给了他5000元零花钱。对他这么关照真的感到十分感谢。”

    だが会社は11か月で退社。地元である愛知県一宮市へと戻ってきた。アパートを借りひとり暮らしを始めたが、貯金は半年で尽き、

    「最後はガスも電気も止められていた」(実父)

    但是11月小岛就辞职了。回到了老家爱知县一宫市。开始租房住在公寓里,半年就把省下来的钱花光了。小岛的父亲说,“最后他连煤气和电费都交不起。”

    そのころ、小島容疑者は父親に「僕は寝る場所があり、ご飯を食べられればいい」と漏らしていたという。とはいえ、それ以外のコミュニケーションを図ることはできず、

    「当初は岡崎の祖母宅の近くのアパートを借りる予定でしたが、一朗はそれに納得できず1回目の家出をしてしまったのです。交渉窓口は祖母のみで、祖母と一緒に住むことが、一朗の希望でした」(実父)

    那时,小岛的爸爸说,“他只是说自己有住的地方,吃的也还不错。但是其他的事情就不跟我们说了。当初我们商量好了就在祖母家附近租房子住,但是一朗没同意,第一次离家出走。在窗口时看到祖母,一朗说他希望可以和祖母一起住。

    祖母の家での同居生活は、'16年10月ごろから。伯父は、

    「ひきこもりがちになってね。家出中、祖母に6000円の掛け時計を送ってきたことがあるんです。家出に使った自転車のチェーンが切れていたのに修理せず、

    “おばあちゃんにプレゼントすると約束していたから”と。時計を買ったお金は祖母からもらったお金なのに、ですよ」

    小岛从2016年10月开始住在祖母家。舅舅说“有点自闭呢。离家出走的时候,祖母收到了6000元的表,他骑走的自行车链条断了却没修。他说是跟祖母约定的礼物。虽然买表的钱也是祖母给的。”

    無関心で愛情がない両親

    父母不关心也不会爱他

    容疑者本人の考えはとにかく自分勝手で、アスペルガー症候群と診断されたためか、伯父にはこう打ち明けていた。

    在我们怀疑小岛是否有阿兹伯格症时,伯父向我们说明,嫌疑人小岛就是孤僻固执的人。

    「“俺は障がい者なんだ。障がい者手帳を取得して就職するんだ”と言うんです。“俺には権利がある、障がい者枠で働くんだ”と。そんなこと、できるかどうかわからないのに。権利を主張するのに、義務を果たさない。5歳の子どもと同じです」

    “他会说“我是残疾人,残疾人拿上笔记本了才能工作。我有这个权利只做残疾人的工作。”话虽如此,他能做什么怎么做自己也不知道。只是说自己有权利,但是却不履行义务,像五岁的小孩一样。“

    だが一家を知る関係者は、「伯父も“出て行け”など乱暴な言葉を使っていたと聞いている。感受性の強い子だったようで、うまくいかないたび家出を繰り返していました」

    然而,有知情者向我们透露,“曾听到他舅舅对着他吼“滚出去”这样的话,如果是比较敏感的孩子,遇到这种状况也只能不断离家出走了。”

    昨年9月頭、精神科に入院中の小島容疑者から親元に手紙が届いたことがある。

    去年九月初,在精神科住院的小岛给亲人写了一份信。

    「助けてください、といった内容です。だから私たちは養子縁組に踏み切った。一朗が逃げずに堂々と生活できるようにするにはそれしかなかった。一朗も喜んでいた」(実父)だが、話し合いの輪からはずされた伯父は激怒した。

    父亲说“他写了“救我”之类的话。所以我收留了他,一朗可以不用逃跑堂堂正正的生活了。他也很高兴”。但是争论中舅舅怒了。

    「私が知らない間に、母(一朗の祖母)と養子縁組をされていました。母が死んだら、一朗はどうする。俺は絶対に面倒はみないと言ったんです。妹(容疑者の母)も父親も無関心で、愛情がないんです」と伯父は小島容疑者の両親の育て方に疑問を投げかける。

    舅舅很怀疑一朗父母的教育方式,“我不知道,因为一开始是妈养着一朗的,我妈去世的话,一朗怎么办,我是真的很愁,一朗的父母对他不关心,更没有感情。”

    母親は、週刊女性の取材にメールで「私がどんなに一朗を思って行動していたか私は恥ずかしくないです」「真相はいつかわかるので今は耐えるしかないです」などと返信。反論を控えた。

    一朗的妈妈在周刊女性发表的文章中回信称:“不管一朗怎么想怎么做,我都不觉得羞耻。”“真相大白之前现在我只能承受。”引起强烈反响。

    身勝手な犯行に、身内の言動はどう影響したのか。小島容疑者はどのような言い訳をするのか。公判を待ちたい。

    自私的犯罪,他的一言一行有什么影响。犯罪嫌疑人小岛会找什么样的理由,还有待公判。

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