日本に来る前に、もし「東京に対してどんなイメージを持ってるの?」って聞かれたら、「うーん、賑やかな現代都市だね。」と答える確率が高いだろう。その現代都市とは何かを説明させられたら、「文化の砂漠」だと解釈するに間違いない。
だけど、東京に住み着いた後、この街に対するイメージ像もだんだん変わってきた。
自分は知識人、強いて言えば哲学者(知恵を愛する人)としての自覚を持っているものだ。昔から落ち着いてる場所が好きだし、重みがあるところが好き。なので、東京のように大都市は自分と相性悪いだろうと勝手に思い込んでて、留学するなら京都に行こうと常に念頭に置いてた。
まあ、現実とは、予想と違うものだね。それはそれは〜ベルクソンの言った「予言不可能性」じゃないか?(笑)。結局いろんな原因で、東京が僕の留学目的地になった。そして、東京という街から受けた刺激が今も続いている。
重みが好きだとか、哲学者であるとか、そんなこと言えても、別に現代文明に対して拒否感やアレルギーが持っているわけではない。そして、東京から受けた衝撃の一つは、まさに、この都市に置いて、現代と伝統、流行と重みの融合だ。完璧に融合してないにも関わらず。
東京には、新宿、渋谷、六本木等々の若者文化、流行文化、強いて言えば高度資本主義文化を代表する場があるにもかかわらず、博物館、美術館、書店、古本屋などの、人間の重みがある精神と繋がるものもある。いや、あるだけではない。たくさんの人に愛されているし、止まらずにこの街に別様な風を吹き込んでいるのだ。
東京記もし、東京から離れたら、一番忍ばないのは何なの?って聞かれたら、100%の確率で、「博物館と本屋だ」と答える確信がある。
アジア最大の古本市場としての神保町はもういうまでもなく(聖地だ)、新宿の三省堂(聖地)、池袋の三省堂(理系の新書が多くて聖地扱い)、渋谷のような重みがあんまりないところでも、大きな三省堂と丸善がある。東京の本屋たちは、僕の財布を小さくした一方で、僕の部屋と頭を充実させ、僕の人生に甚大な影響を与えた。もっとシンプルな例を挙げると、主に読書を通して日本語を覚えたのだ。僕の下手くそなカタコト日本語なんて褒めることに値しないけど、よく「どこで日本語を学んだの?」って聞かれた時、特に大学の可愛い女の子たちに聞かれた時、いつも誠実に「本の中で」って答える。相手を納得したいわけじゃない、ただ可愛い子と話すのが好きだけだww
当然、大事な場所は本屋だけじゃない。博物館が僕にとって、不可欠なものだ。上野の博物館に毎年必ず行ってるし、僕は他の博物館の常連さんでもある。
正直、博物館って言ったら、感謝の気持ちしかない。博物館のおかげで、ダーウィンの「種の起源」の手稿、ダヴィンチの人体解剖素描、深海のダイオウイカ、インカ帝国の芸術品、恐竜のミイラ(非常に珍しいもんだ)を全部実物で見てた。それらのものを見る時、時空を超え、遠い昔のものを触れ、感じる時の心情と感動が、実は読書から得られないものだ。そもそも、博物館で買った具足虫で作ったせんべいを食べた時点で、僕はもう人類の少数者になってるんだ。あはははは〜
本屋と博物館という場が、僕にとってどんな意味を持つでしょう?バカな男女たちにとって、単なるくだらない場所や見世物にすぎないかもしれないが、僕にとっては、実は深遠な意味がある。
繰り返しの人生が面白くない、新しい世界との出会いがない世界がつまらない、他者との遭遇がない人生が不完全だ。
そうだ!哲学上には、「汝自身を知れ」というテーゼがあるが、そのテーゼの前提とは?僕の考えで言えば、「他者と出会う」ことだ。その他者は当然、人間に限らない。自分の知らない世界、自分の知らない知識や考えも、すべて自分を成長させ、より良い自分を作り上げ、すなわち、真の自分を知るためにルートと手段だ。
なぜ「人生つまらない」って堂々と言ってる人がいるのだろう?まだ若いのに!もしかして、重みのない生活が何千回続いて、新しい世界との出会いがない、真の自分について何も知らないという原因によるかもしれない。
本で読み、博物館で観察、難しいことを挑戦し、止まらずに新しいものを知りながら自分をも知る。それは、東京という街からいただいた、一番貴重な経験で、一番大事な精神の糧かもしれない。
東京は僕の第二の故郷だ。東京を愛している。
网友评论