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译·校·注丨《伊豆的舞女》7

译·校·注丨《伊豆的舞女》7

作者: 江蝉子 | 来源:发表于2022-10-23 17:35 被阅读0次

    ● 本译稿除重译外,同时对照知名译本,对明显相异处,疑似错译处等添加了注解。

    ● 所对照的知名译本包括叶渭渠译本和李德纯译本,以叶渭渠为主。

    ● 词义解释主要参考大辞泉(小学馆)及各类信息。


    译文

            约的是次晨八点自汤野启程。我戴上在公共浴场旁买的鸭舌帽,把高等学校校帽塞到包的深处[46] ,往沿街的木赁旅店去了。二楼的拉门全敞开着,我便毫不经意地上去,结果艺人们还在睡铺里。我惊慌失措地杵在了走廊。

            我脚边的睡铺上,小舞女满面飞红,双掌倏地扪住了脸。她和中姑娘睡的一个被褥,昨夜的浓妆残在,唇眦的胭脂些微化开了。这风情幽漾的睡容迷醉了我的心神[47] 。她似是觉得目眩,一骨碌翻了个身,以掌掩住面孔,滑出睡铺,坐在了走廊上:

            “昨晚多谢您了。”漂漂亮亮地行了一礼,我兀自杵着,给弄得手足无措了。

            男人和大姑娘在一铺睡着。见此情景之前,我全然不知二人是夫妻。

            “实在对不住,原本打算今天出发,可今晚好像有宴席,我们决定延一日再走。您若是只能今天启程,那在下田还会相见的。我们定好宿在一家叫甲州屋的旅店了,一看便知。”四十来岁的女人从睡铺里半欠身着说道。我有一种被抛弃了的感觉。

            “您可以明日再走吗?我不知道大娘要延一日呢。还是结伴同行的好,明天一起走吧。”男人这么一说,四十来岁的女人也附和道:

            “就这么办吧,难得您肯与我们同行,让您为难真是抱歉。明天就算下刀子也要走。后天是旅途中死去的娃娃的四十九天,四十九天的时候,要在下田给他尽点心意,老早就这么想了,就为了那天前能到下田,我们才着急赶路的。跟您说这些事本不像话,可咱这缘分多妙呀。后天,还请您也拜拜他呀。”

            于是我便决定延期启程,从楼梯下来。一面等着众人起来,一面在脏污的账房处和旅店伙计闲谈,正说着,男人邀我去散步了。沿街稍往南走走有座漂亮的桥,倚在桥栏杆上,他又说起自己的身世:他曾短暂加入过东京新派戏演员的群体,现在也时不时在大岛的港口演戏[48] 。他们行李的包袱里,刀鞘总像脚似地往外伸着,不过在宴席上也会模仿戏剧表演,供客人观赏。柳条行李箱里是那些戏服和锅具茶碗等生活用具。

            “我耽误了自己,终至败落,但好在兄长在甲府风风光光地继承了家业。所以我呀,是个无用之人。”

            “我一直以为你是长岡温泉的人。”

            “是么。那大姑娘是我老婆,比你小一岁,十九了。旅途空档中早产了第二个孩子,孩子约莫一周就断气了,老婆身子也还弱着。那大娘是我老婆的生母,小舞女是我的亲妹妹。”

            “咦,你说有个快十四岁的妹妹就是——”

            “就她啊。唯独妹妹,我是坚决不想让她做这样的事,可其中又有诸多缘由。”

            而后,他告诉我自己叫荣吉,老婆叫千代子,妹妹叫薰云云。只有剩下那个叫百合子的十七岁姑娘是大岛人,受其所雇的。荣吉感伤至极,神情似要落泪,一面凝视着河滩。

            折返回来,把白粉洗落了的小舞女正在路边蹲着抚摩狗的脑袋。我正要回自己的旅店,道:

            “过来玩吧。”

            “好呀,可是我一个人……”

            “那你叫哥哥一起嘛。”

            “我马上去。”

            不一会儿荣吉到我的旅店来了。

            “大家呢?”

            “女人们怕大娘絮叨。”

            但是,二人下了一会儿五子棋,女人们便过了桥陆续上二楼来了。照例地郑重施了礼,在走廊上坐着踌躇了一番,最先是千代子抬身起来。

            “这是我的房间,来,不要客气,请进来。”

            约莫玩了一小时后,艺人们去了这家旅店的室内浴池。她们再三邀我共浴,但年轻女子有三人之多,我敷衍说随后就去,小舞女立刻一个人上来:

            “姐姐[49] 说要给您擦肩,叫您过去呢。”转达了千代子的话。

            我没去浴室,和小舞女摆起了五子棋。她厉害得不可思议,若是按淘汰赛制玩,荣吉和其他女子轻易地就会输了[50] 。五子棋胜过大多数人的我也使了全力,不必特意让棋的感觉很好。因为只有我们二人,起初她一直自远处伸手落子[51] ,渐渐地入了神,一个心思地往棋盘上覆压而来[52] ,美得不自然的黑发[53] 几乎要触到我的胸口。蓦地,飞红了脸:

            “对不起,会挨骂的。”棋子丢之不顾就飞奔而去。公共浴场前,大娘站在那里。千代子和百合子也慌忙离开浴池,没有上二楼来就逃回去了。

            这天,荣吉也从早至晚在我的旅店玩耍。看似纯朴亲切的旅店老板娘忠告我说:给那种人饭吃也是浪费!

    [46]原文是“カバンの奥に押し込んで” ,奥是“深处”,此处作者特意点明,是为了表达“我”不想让舞女一行觉得与自己身份悬殊。

    过往译本有的是“塞进了书包”,漏译了这个细节,文意有失。

    [47]原文是“胸を染めた” 染めた是染,即改变事物原有的颜色,此处可引申为感到兴奋激动,迷醉。

    过往译本有的是“使我魂牵梦萦”,魂牵梦萦是长久的思念,文意不符。

    [48]原文是“今でも時々大島の港で芝居をするのだ”, “時々”意为“时不时”,“芝居をする”意为“表演”,这句话的主体根据上下文,推测是男人。

    过往译本有的是“这剧种至今仍经常在大岛港演出”→新派戏是日本上世纪初的一个剧中,规模不小,不可能只是在大岛演出,理解错误主体,文意不符。

    [49]原文是“姉さん”,意为姐姐,日本人叫嫂子的时候也是这么叫,但嫂子是中文的说法,日本一律都称姐姐,只是需要根据实际情况猜测。

    过往译本皆直接译为嫂嫂,的确,作者用全能视角也说了,小舞女转达的是千代子的话,的确是她嫂嫂,但在语言中,没有明确写嫂嫂,或者应该沿用原文为宜,一来,这是独特的文化特点,毕竟原文处在日本的社会环境中,有其独特的称呼规则,就像如果文学背景设在四川,那么叫小姑娘叫幺妹儿,是更合理自然的。二来,原文的解读空间应保留,这也是文学性的体现之一,毕竟日本读者同样也需要根据语境,去猜测是“姐姐”还是“嫂嫂”。

    [50]原文“勝継ぎをやると、栄吉や他の女は造作なく負けるのだった”这里主体没有直接写明,即让荣吉和其他女人轻易会输的人是谁?因为“我”和他们相处时间不长,不可能和荣吉,其他女人全都下过棋,前文也都没有提到,而前文又提到小舞女棋力很强,所以指的应该是小舞女。

    过往译本有的是“循环赛时,荣吉和其他妇女轻易地输给我了”→首先,百合子未必结婚了,不一定是妇女,其次,如上分析,让她们输的人应该是小舞女,而不是我,逻辑文意不符。

    [51]原文是“手を伸して石をおろしていた” 手を伸して即伸出手,此处是一种动作的客观描写,即伸手下子。

    过往译本有的是“要伸长手才能下子”→原文没有“需要,才能”的逻辑关系,逻辑不符。

    [52]原文是“一心に碁盤の上へ覆いかぶさって来た”,这里是一个动作描写,即小舞女下棋入了神,动作也由前面的端坐远处,开始整个人压向棋盘,这样后面才会头发几乎要触到“我”。

    过往译本有的是“一心扑在棋盘上”→把肢体动作理解成了心理动态。

    有的是“趴在棋盘潜心下棋”→小舞女不单是静态的趴,而是动态的压过来。

    [53]原文是“不自然なほど美しい黒髪”, ほど前面的内容是后面内容程度之高的具体表现,即,美得不自然。

    过往译本有的是“显得有些不自然的秀美黑发”→原文的不自然是修饰美的,意思是极美,而不是割裂开,说头发不自然。当然,该译本这句话勉强也可以理解为暗含了“美得不自然”的意思,但始终不够准确,而原文是准确表达了的。

    原文

    その次の朝八時が湯が野出立の約束だった。私は共同湯の横で買った鳥打帽をかぶり、高等学校の制帽をカバンの奥に押し込んでしまって、街道沿いの木賃宿へ行った。

    二階の戸障子がすっかり明け放たれているので、なんの気なしに上がって行くと、芸人たちはまだ床の中にいるのだった。私はめんくらって廊下に突っ立っていた。

    私の足もとの寝床で、踊子がまっ赤になりながら両の掌ではたと顔を抑えてしまった。彼女は中の娘と一つの床に寝ていた。昨夜の濃い化粧が残っていた。唇と眦の紅が少しにじんでいた。この情緒的な寝姿が私の胸を染めた。彼女は眩しそうにくるりと寝返りして、掌で顔を隠したまま蒲団を辷り出ると、廊下に坐り、

    「昨晩はありがとうございました」と綺麗なお辞儀をして、立ったままの私をまごつかせた。

    男は上の娘と同じ床に寝ていた。それを見るまで私は、二人が夫婦であることをちっとも知らなかったのだった。

    「たいへんすみませんのですよ。今日立つつもりでしたけれど、今晩お座敷がありそうでございますから、私たちは一日延ばしてみることにいたしました。どうしても今日お立ちになるなら、また下田でお目にかかりますわ。私たちは甲州屋という宿屋にきめておりますから、すぐおわかりになります」と四十女が寝床から半ば起き上がって言った。私は突っ放されたように感じた。

    「明日にしていただけませんか。おふくろが一日延ばすって承知しないもんですからね。道連れのある方がよろしいですよ。明日一緒に参りましょう」と男が言うと、四十女も付け加えた。

    「そうなさいましよ。せっかくお連れになっていただいて、こんな我儘を申しちゃすみませんけれど。明日は槍が降っても立ちます。明後日が旅で死んだ赤ん坊の四十九日でございましてね、四十九日には心ばかりのことを、下田でしてやりたいと前々から思って、その日までに下田へ行けるように旅を急いだのでございますよ。そんなこと申しちゃ失礼ですけれど、不思議なご縁ですもの、明後日はちょっと拝んでやってくださいましな」

    そこで私は出立を延ばすことにして階下へおりた。皆が起きて来るのを待ちながら、汚い帳場で宿の者と話していると、男が散歩に誘った。街道を少し南へ行くと綺麗な橋があった。橋の欄干によりかかって、彼はまた身の上話を始めた。東京である新派役者の群れにしばらく加わっていたとのことだった。今でも時々大島の港で芝居をするのだそうだ。彼らの荷物の風呂敷から刀の鞘が足のようにはみ出していたのだったが、お座敷でも芝居の真似をして見せるのだと言った。柳行李の中はその衣裳や鍋茶碗なぞの世帯道具なのである。

    「私は身を誤った果てに落ちぶれてしまいましたが、兄が甲府で立派に家の後目を立てていてくれます。だから私はまあいらない体なんです」

    「私はあなたが長岡温泉の人だとばかり思っていましたよ」

    「そうでしたか。あの上の娘が女房ですよ。あなたより一つ下、十九でしてね、旅の空で二度目の子供を早産しちまって、子供は一週間ほどして息が絶えるし、女房はまだ体がしっかりしないんです。あの婆さんは女房の実のおふくろなんです。踊子は私の実の妹ですが」

    「へえ。十四になる妹があるっていうのは――」

    「あいつですよ。妹にだけはこんなことをさせたくないと思いつめていますが、そこにはまたいろんな事情がありましてね」

    それから、自分が栄吉、女房が千代子、妹が薫ということなぞを教えてくれた。もう一人の百合子という十七の娘だけが大島生まれで雇いだとのことだった。栄吉はひどく感傷的になって泣き出しそうな顔をしながら河瀬を見つめていた。

    引き返して来ると、白粉を洗い落した踊子が路ばたにうずくまって犬の頭を撫でていた。私は自分の宿に帰ろうとして言った。

    「遊びにいらっしゃい」

    「ええ。でも一人では……」

    「だから兄さんと」

    「直ぐに行きます」

    まもなく栄吉が私の宿へ来た。

    「皆は?」

    「女どもはおふくろがやかましいので」

    しかし、二人がしばらく五目並べをやっていると、女たちが橋を渡ってどんどん二階へ上がって来た。いつものように丁寧なお辞儀をして廊下に坐ったままためらっていたが、一番に千代子が立ち上がった。

    「これは私の部屋よ。さあどうぞご遠慮なしにお通りください」

    一時間ほど遊んで芸人たちはこの宿の内湯へ行った。一緒にはいろうとしきりに誘われたが、若い女が三人もいるので、私は後から行くとごまかしてしまった。すると踊子が一人すぐに上がって来た。

    「肩を流してあげますからいらっしゃいませって、姉さんが」と、千代子の言葉を伝えた。

    湯には行かずに、私は踊子と五目を並べた。彼女は不思議に強かった。勝継ぎをやると、栄吉や他の女は造作なく負けるのだった。五目ではたいていの人に勝つ私が力いっぱいだった。わざと甘い石を打ってやらなくともいいのが気持よかった。二人きりだから、初めのうち彼女は遠くの方から手を伸して石をおろしていたが、だんだん我を忘れて一心に碁盤の上へ覆いかぶさって来た。不自然なほど美しい黒髪が私の胸に触れそうになった。突然、ぱっと紅くなって、

    「ごめなさい。叱られる」と石を投げ出したまま飛び出して行った。共同湯の前におふくろが立っていたのである。千代子と百合子もあわてて湯から上がると、二階へは上がって来ずに逃げて帰った。

    この日も、栄吉は朝から夕方まで私の宿に遊んでいた。純樸で親切らしい宿のおかみさんが、あんな者にご飯を出すのはもったいないと言って、私に忠告した。

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