最近、思想を表現する方法について考えることが多くなった。たとえば、文章は思想を表現する方法のひとつだけれど、その文章にもいろいろな表現形式がある。哲学の勉強をはじめた頃の私は、さまざまな形式のなかで論文という形式だけが、思想表現の方法にふさわしいと思っていた。
最近,我对于思想表达形式的思考不断增多。比如,虽然文章是思想的表现方法之一,但是文章本身又有很多表现形式。刚开始学习哲学时,初学者的我认为:在众多的表现形式中,只有论文这一形式适用于表达思想。
しかし、後に、この考え方を訂正しなければならなくなった。思想の表現として、論文が唯一の方法だということは絶対にない。私たちは、すぐれたエッセーや小説、詩をとおして、しばしば思想を学びとる。とすれば、思想を表現する文章のかたちは、自在であってよいはずである。
但后来,不得不将这种考虑方式进行修正。对于思想的表现,论文绝不是唯一的方法。我们也时常可以通过优秀的散文、小说、诗歌获取学习其中的思想。也就是说,表现思想文章的形态也是自由而无拘束的。
ところが、そう考えてもまだ問題はある。というのは、思想の表現形式は、文章というかたちをとるとは限らないのだから。絵でも彫刻でも、音楽でも、つまり実にさまざまなものを用いて、思想を表現するのは可能なはずである。そのなかには、かたちにならないものもある。
但是,这种观点还是不太准确。因为思想的表现形式不仅仅只局限于文章。无论是绘画,雕刻,还是音乐都可以是思想的表现形式,也就是说,可以通过各式各样的渠道来表达思想。这其中,还包括无形的表现形式。
たとえば私の村に暮らす人々のなかに、自然に対する深い思想をもっていない人など一人もいない。村の面積の96パーセントを森や川がしめるこの村で、自然に対する思想をもたなかったら、人は暮らしていけない。ところが村人は、<自然について>などという論文を書くことも、文章を書くこともないのである。そればかりか、自分の自然哲学を、絵や音楽で表現しようとも考えない。
比如,与我同村的人中,没有一个人是不对自然抱有深厚的感情的。如果对自然不抱有感情,那么村民们是无法在这个森林与河流占其总面积百分之九十六的村落里生活下去。但是,村民们并没有撰写过类似于《论自然》之类的论文或文章,而且也不打算通过绘画或音乐来表现自己所理解的自然哲学。
そんなふうにみていくと、村人は自然に対してだけではなく、農についての深い思想や、村とは何かという思想をももっているのに、それらを何らかのかたちで表現することも、またないのである。
这样看来,不仅是对自然,村民们还对农业以及何为村落的定义有所深思。即便如此,他们未曾想通过某种形式将其表达出来。
とすると、村人たちは、どんな方法で自分たちの思想を表現しているのであろうか。私は、それは、<作法>をとおしてではないかという気がする。
那么,村民们是通过什么方法来表达自己的思想的呢?我认为是“礼仪”。
(中略)
考えてみれば、もともとは、作法は、思想と結びつきながら伝承されてきたものであった。たとえば昔は、食事の作法を厳しくしつけられた。食べ物を残すことはもちろんのこと、さわぎながら食事をすることも、けっしてしてはいけなかった。それは、食事は生命をいただくものだ、という厳かな思想があったからである。茶碗の中の米だけをみても、人間はおそらく何万という生命をいただかなければならない。だから、そういう人間のあり方を考えながら、いま自分の身体のなかへと移ってくれる生命に感謝する。この思想が食事の作法をつくりだした。
仔细考虑便知,礼仪原本就是与思想相结合一同传承下来的。比如,以前用餐的礼节是被严格规定的。剩饭剩菜就不用说了,连吃饭时吵吵闹闹都是不被允许的。因为 “饮食是生命之源”这种思想深深地植入到我们的脑海里。别小看饭碗中的一颗米粒,它支撑着几万人的生命。想到人们的这种存在方式,我为这种思想植入了我的身体之中而感恩。是这种思想创造了用餐礼仪。
ところが、近代から現代の思想は、このような、日々の暮らしとともにあった思想を無視したのである。その結果、思想は、文章という表現形式をもち、文章を書く思想家のものになった。そして、いつの間にか人間の上に君臨し、現実を支配する手段になっていった。
(内山節『「里」という思想』による)
但是,从近代到现代的思想中却一直忽略了这种与生活息息相关的思想。结果就导致,一提起思想,大家就会误以为一定要使用文章这一表现形式,而思想也成了作家的专属品。而且,在不知不觉中,思想就变成了驾驭人类,支配现实的手段。
-摘自内山节《故乡思想》
翻译 何思莹、孙鹏轩
校对 梁DON
朗读 佳佳、思雨
后期 恩惠
责编 孙鹏轩
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