>1. 土佐の長宗我部といえば、安土桃山時代に四国ほぼ全土を掌中に収めた猛将である。だが秀吉に攻め込まれ、合戦で家康に敗れて、歴史の表舞台から消え去る。
说起土佐的长宗我部,确是安土桃山时代把四国收入掌中的猛将。但是却被丰田秀吉攻进去,在交战中被德川家康打败,从此退出了历史的舞台。
>2. 「江戸時代は家紋も家名も使うことを禁じられた。島という姓に改め、ある時期は門番の仕事に耐えた。再び元の姓を名乗ったのは大政奉還の後です」。そう語るのは17代当主の長宗我部友親(ともちか)さん(75)である。
“他在江户时代被禁止使用家纹和家姓。改姓为岛,有一段时间还成了看门的。再次改回原姓还是大政奉还之后。”17代家主长宗我部友亲说道。
>3. 元共同通信社経済部長。記者時代は安倍晋太郎、渡辺美智雄、土光敏夫といった政財界の要人を取材した。名刺を出すとだれもが驚いた顔をする。「ご子孫ですか?」。香川県が地元の大平正芳・元首相は、「わが家は長宗我部様の足元にも及ばないよ」と感慨深げだったという。
长宗我部友亲原是共同通信社经济部长。在记者时代,曾向安倍晋太郎,渡边美智雄,土光敏夫等财政界要人采访。递出名片后,谁看到了都吓了一跳,问道:“您是他的后人吗?”香川县前县长大平正芳感慨道:我还未及长宗我部大人的脚跟呢。
>4. 今春、『絶家(ぜっか)を思う』という本を刊行し、家系の今後をめぐって揺れる思いを吐露した。家訓にいわく「水の流れに抗せざるが如(ごと)く生きよ」。その言葉通り、家制度にこだわりはない。子どもに恵まれなかったのだから、自分の代で幕を下ろすのは自然なことと感じる。
今年春天,刊行了一本名为《绝户之思》的书,表达出围绕着血统未来的动摇心思。家训有言:“像不抵抗水流一样生存下去”。如同这句话所述,不拘泥于家的制度。由于不与偏宠于孩子,让人感到在自己这一代降下帷幕是很自然的。
>5. 一方で、忍従の歳月に耐えた先祖に十分報いることができたのか、もどかしさも募る。親戚筋は東北から九州に広がる。墓所は各地に散り、墓参もままならない。「この先、永代供養を寺社にお願いするか、墓じまいをするか。なかなか割り切れません」。
一方面,越来越急于是否已经充分地报答了忍受了难忍岁月的先祖了呢。把家族脉络从东北扩大到九州。将坟墓散落到各地,扫墓也就无法照旧进行了。
>6. 戦国武将の末裔(まつえい)でなくとも、昨今は残された実家や墓をどうするか悩む人が実に多い。考えに考え抜いて吐き出された「絶家」という言葉がまっすぐ重く胸に迫る。
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