多摩川(たまがわ)の二子(ふたこ)の渡しをわたって少しばかり行くと溝口(みぞのくち)という宿場がある。その中ほどに亀屋(かめや)という旅人宿(はたごや)がある。ちょうど三月の初めのころであった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしいこの町が一段と物さびしい陰鬱(いんうつ)な寒そうな光景を呈していた。昨日(きのう)降った雪がまだ残っていて高低定まらぬ茅屋根(わらやね)の南の軒先からは雨滴(あまだれ)が風に吹かれて舞うて落ちている。草鞋(わらじ)の足痕(あしあと)にたまった泥水にすら寒そうな漣(さざなみ)が立っている。日が暮れると間もなく大概の店は戸を閉(し)めてしまった。闇(くら)い一筋町(ひとすじまち)がひっそりとしてしまった。旅人宿(はたごや)だけに亀屋の店の障子(しょうじ)には燈火(あかり)が明(あか)く射(さ)していたが、今宵(こよい)は客もあまりないと見えて内もひっそりとして、おりおり雁頸(がんくび)の太そうな煙管(きせる)で火鉢(ひばち)の縁(ふち)をたたく音がするばかりである。
突然(だしぬけ)に障子をあけて一人(ひとり)の男がのっそり入(はい)ッて来た。長火鉢に寄っかかッて胸算用(むなさんよう)に余念もなかった主人(あるじ)が驚いてこちらを向く暇もなく、広い土間(どま)を三歩(みあし)ばかりに大股(おおまた)に歩いて、主人(あるじ)の鼻先に突ったッた男は年ごろ三十にはまだ二ツ三ツ足らざるべく、洋服、脚絆(きゃはん)、草鞋(わらじ)の旅装(なり)で鳥打ち帽をかぶり、右の手に蝙蝠傘(こうもり)を携え、左に小さな革包(かばん)を持ってそれをわきに抱いていた。
『一晩厄介になりたい。』
由多摩川的双子渡稍前行,是称为沟口的宿驿之地,内有客栈名唤龟屋。方三月初,天色阴霾,北风猛烈。小镇原来寂寞,此际更呈示出凄清并阴郁的孤冷光景。昨日残雪犹积,高低不定,南侧茅屋顶亦见风吹雨点,纷纷飘舞落下。草鞋足痕踏泥水,激起寒冷涟漪。日暮未久,诸店约略尽收,夜色长街寂然,唯龟屋帘幕灯火尚隐约。眼见今宵当无客旅,店内静寂无语,但闻雁首烟管轻击火钵声。
忽然帘幕打开,见一男子缓步入。龟屋主人恰倚火钵思量,未及讶异间,男子已跨入房中,步至主人眼前。其人年龄约三十未满,身着西服,下有绑腿草鞋之旅人装束,头戴鸭舌帽,右手携蝙蝠伞,左手跨小皮包,夹在腋间。
“且相扰一夜。”
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