読み物、テレビ、演芸などでは繰り返し英雄が取り上げられる。それら日本人の好きな英雄を、三つのパターンに分けることができる。全国制覇の道半ばで倒れた失意の英雄、立身出世した英雄、そして、貴種流離譚に属する身分を隠して流浪する貴人である。これらは互いに重なり合って日本人好きの英雄を形作っていると言える。
在书籍、电视、文艺表演中,英雄人物一再地被歌颂。这些日本人喜爱的英雄可分为三种类型:企图称霸全国半途却遭挫败的失意英雄;功成名就的英雄;具有贵族传奇色彩,隐姓埋名到处流浪的没落贵族。这些特质相互糅合,塑造出了日本人喜爱的英雄形象。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)と徳川家康(とくがわいえやす)
丰臣秀吉、德川家康
立身出世物語の典型は、戦国時代の天下統一を成し遂げた豊臣秀吉である。秀吉は足軽の子でありながら、織田信長の家来となり、さまざまな知恵と勇気で、ついに全国を統一する。
功成名就人物的典型要属战国时代完成统一天下大业的丰臣秀吉。秀吉虽出身低级武士之家,后来却成为织田信长的家臣,凭借着其聪明才智和勇气,终于统一了全国。
秀吉に次ぎ天下を治めた徳川家康も、小大名の息子として12年間も人質となり苦労したが、後に天下を取った。徳川300年の治世を開いた人として、その言動が現代の経営者にもてはやされている。
继秀吉之后统治天下的德川家康也是这类典型的人物。他以小诸侯之子的身份当了12年人质,经历苦难,后来终于取得天下。由于德川家康是开启德川300年治世的创始人,因此他的言行至今仍然受到现代经营者的推崇。
水戸黄門(みとこんもん)
水户黄门
貴種流離譚でも源義経がその典型だが、このパターの変形として、水戸黄門(徳川光圀)がいる。徳川家康の孫に当たる大名で、名君と言われた。引退後、身分を隠して、二人の家来とともに全国を巡り歩いたとするフィクションで知られる。機器が近づくと、自分の身分を示す葵の紋所を示して、悪をこらしめる。
在贵族流离传奇中源义经是典型的代表人物,而水户黄门(德川光圀)则是由此演变而来。他是德川家康的孙子、诸侯之一,据说是一位非常优秀的君主,隐退之后他隐瞒身份带两名随从一起巡游全国,这一虚构的故事在日本家喻户晓。据说一旦面临危机时,他便出示表明自己身份的葵形家徽,以惩戒恶人。
権力のもつ悪に対する庶民の批判であり、同時に庶民の権威志向の表れとも言われている。これらは、もしかして自分もそうした英雄となれるかもしれない、自分も英雄の子孫であったらよいのだが、という夢を庶民に与えるものであり、それゆえに、広く支持されてきたとも言えよう。
水户的义行被认为是平民对恶势力的一种批判,同时也是平民权势欲望的一种表现。这些典范给平民“说不定我也能成为那样的英雄”、“如果自己是英雄的子孙该有多好”的幻想,正因为如此,他们才会博得日本大众的喜爱。
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