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花的故事(一)牵牛花

花的故事(一)牵牛花

作者: jimaiwa | 来源:发表于2018-08-08 09:30 被阅读0次

    一.牵牛花

    寺田寅彦

     想起了我小时候的事情,虽然不能确切地记得那是什么时候的事了。沿着宅院前流淌着的浑浊的堀川,往上走半条街,再向左拐,便进入了古城堡山脚下的树丛。面对着那城堡,这边河岸上有广阔的空地。维新之前,此地是藩主的训练场,而在那时是县厅所属的荒芜之地。一片沙地里,到处茂密地生长着斑驳的杂草,牵牛花开得满地都是。住在附近的孩子们将此地作为玩耍的游乐场,他们弄破栅栏,自由出入,完全无人管束。夏天的傍晚,幽暗之中,我将长长的竹竿扛在肩上向空地走去。不知从哪里飞出许多蝙蝠在扑食蚊虫,它们在低空盘旋着,我只要挥动竹竿,就有被打落在地的。无风的黄昏朦朦胧胧的,呼喊蝙蝠的声音从对岸城堡的石墙上回响着,消失在昏暗的河流上。“蝙蝠来啊!请喝水!那边的水苦啊!”到处都是这喊叫声,不时掠过竹竿上空的无力的颤音嘘嘘地响着,听起来热闹非凡,却充满了难以形容的寂寞。蝙蝠出动是在黄昏,因为夜深了,所以少了一只,又少了两只,觉得全都消失了,全都飞走了,于是孩子们也四散回家去了。之后一切都寂静下来,死一样的空气笼罩在广场上。不知什么时候,我追踪归巢的蝙蝠,一直走到荒地一隅。等突然觉察时,向周围一看,一个人也没有了,伙伴们都回家了,伙伴之间呼喊回家的声音也没有了。向河对岸望去,只见城堡的石墙上,郁郁葱葱的朴树将夜空遮了起来,令人感到恐怖,河边茂密的草木沉睡在黑暗中。一抬脚,草丛里的露水冰凉。当不可名状的黑暗的恐怖感袭来时,我不顾一切地跑了回来。广场的一角,有高高堆起的砂子,如河堤一般。我给它起名叫天文台,其实原来是射箭靶场的遗迹,时常可以从沙子中挖掘出长长的铅坠。年长的孩子爬上沙山,再滑下来,还经常玩打仗游戏。敌军在天文台上插着军旗防守着,官军攀登攻击。我也参加在这军队中,可是从未攀登到沙山顶上。经常欺负我的年长孩子一旦毫不费力地攀登上了沙山,就嘲笑我是胆小鬼。令人遗憾的是,我拼命登了上去,沙子却从脚下崩塌下来,想仰仗草丛救命,却将牵牛花也揪掉了,一路滑落下来,引得沙山上的敌军拍手大笑。不过,无论如何要攀登上去的念头在我幼小的心中扎下了根。有时候,在梦中攀登这座天文台,攀登不上去,急得直哭,被母亲扶起来坐在被窝上,还在哭。“你现在还小,爬不上去,等长大了再去攀登好吗?”母亲安慰着我。在那以后,我们一家离开了故乡进了都市。小孩的心思并不执着,关于故乡的事情渐渐淡忘了,开着牵牛花的天文台仅仅保留在如梦中的影子中。二十年后,今天回到了故乡,看到那广场上建起了镇上漂亮的小学。一直想在长大了再攀登的天文台的沙山被拆掉了,连个影子也没留下。能让我怀念的,尚保留着过去的情景的,是放学后在庭院里玩耍的勇猛的小孩子们,以及在栅栏底下勉强开着的牵牛花。

    一 昼顔

    いくつぐらいの時であったかたしかには覚えぬが、自分が小さい時の事である。 宅(うち)の前を流れている濁った堀川(ほりかわ)に沿うて半町ぐらい上ると川は左に折れて旧城のすその茂みに分け入る。その城に向こうたこちらの岸に広いあき地があった。維新前には藩の調練場であったのが、そのころは県庁の所属になったままで荒れ地になっていた。一面の砂地に雑草が所まだらにおい茂りところどころ昼顔が咲いていた。近辺の子供はここをいい遊び場所にして柵(さく)の破れから出入りしていたがとがめる者もなかった。夏の夕方はめいめいに長い竹ざおを肩にしてあき地へ出かける。どこからともなくたくさんの蝙蝠(こうもり)が蚊を食いに出て、空を低く飛びかわすのを、竹ざおを振るうてはたたき落とすのである。風のないけむったような宵闇(よいやみ)に、蝙蝠を呼ぶ声が対岸の城の石垣(いしがき)に反響して暗い川上に消えて行く。「蝙蝠来い。水飲ましょ。そっちの水にがいぞ」とあちらこちらに声がして時々竹ざおの空(くう)を切る力ない音がヒューと鳴っている。にぎやかなようで言い知らぬさびしさがこもっている。蝙蝠の出さかるのは宵の口で、おそくなるに従って一つ減り二つ減りどことなく消えるようにいなくなってしまう。すると子供らも散り散りに帰って行く。あとはしんとして死んだような空気が広場をとざしてしまうのである。いつか塒(ねぐら)に迷うた蝙蝠を追うて荒れ地のすみまで行ったが、ふと気がついて見るとあたりにはだれもいぬ。仲間も帰ったか声もせぬ。川向こうを見ると城の石垣(いしがき)の上に鬱然(うつぜん)と茂った榎(えのき)がやみの空に物恐ろしく広がって汀(みぎわ)の茂みはまっ黒に眠っている。足をあげると草の露がひやりとす

    る。名状のできぬ暗い恐ろしい感じに襲われて夢中に駆け出して帰って来た事もあった。広場の片すみに高く小砂を盛り上げた土手のようなものがあった。自分らはこれを天文台と名づけていたが、実は昔の射的場の玉よけの跡であったので時々砂の中から長い鉛玉を掘り出す事があった。年上の子供はこの砂山によじ登ってはすべり落ちる。時々戦争ごっこもやった。賊軍が天文台の上に軍旗を守っていると官軍が攻め登る。自分もこの軍勢の中に加わるのであったが、どうしてもこの砂山の頂まで登る事ができなかった。いつもよく自分をいじめた年上の者らは苦もなく駆け上がって上から弱虫とあざける。「早く登って来い、ここから東京が見えるよ」などと言って笑った。くやしいので懸命に登りかけると、砂は足もとからくずれ、力草と頼む昼顔はもろくちぎれてすべりおちる。砂山の上から賊軍が手を打って笑うた。しかしどうしても登りたいという一念は幼い胸に巣をくうた。ある時は夢にこの天文台に登りかけてどうしても登れず、もがいて泣き、母に起こされ蒲団(ふとん)の上にすわってまだ泣いた事さえあった。「お前はまだ小さいから登れないが、今に大きくなったら登れますよ」と母が慰めてくれた。その後自分の一家は国を離れて都へ出た。執着のない子供心には故郷の事は次第に消えて昼顔の咲く天文台もただ夢のような影をとどめるばかりであった。二十年後の今日故郷へ帰って見るとこの広場には町の小学校が立派に立っている。大きくなったら登れると思った天文台の砂山は取りくずされてもう影もない。ただ昔のままをとどめてなつかしいのは放課後の庭に遊んでいる子供らの勇ましさと、柵(さく)の根もとにかれがれに咲いた昼顔の花である。

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