● 本译稿除重译外,同时对照知名译本,对明显相异处,疑似错译处等添加了注解。
● 所对照的知名译本包括叶渭渠译本和李德纯译本,以叶渭渠为主。
● 词义解释主要参考大辞泉(小学馆)及各类信息。
译文
夜间,我到木赁旅店去,小舞女正在跟大娘学三味线,一见我就停下了,但大娘说她,便又把三味线抬抱起来。歌声每每升高之际,大娘便说:
“都说了不能高声。”
荣吉给对过餐馆的二楼宴席叫去,正念说着什么[54] ——从此处可以望见。
“那是什么?”
“那是——歌谣呀。”
“歌谣真怪。”
“他是个万事通,谁知道他会表演什么呢。”
这时,一个四十前后[55] 的男人——据说是在这木赁旅店租地贩鸟[56] 的——拉开隔扇,喊姑娘们吃饭。小舞女和百合子一起拿着筷子去了隔壁房间,在鸟贩胡吃一通之后的鸡肉火锅里戳夹着[57] 。一齐起身往这边的房间来的途中,鸟贩在小舞女肩上轻轻敲了敲。大娘露出恐怖的神情:
“哎呀,别碰这孩子啊,她是个没经过事的女娃呀[58] 。”
小舞女喊着“大叔大叔”,央鸟贩念《水户黄门漫游记》给她,可鸟贩很快起身离去了。她不好直接央我给她念下文,便一劲儿说什么要大娘来求人读。我怀着一个期待,拿起了故事书,果然小舞女一溜儿挨近来了。我一开始念,她就把脸挨近得险些触到我的肩,一脸认真,眼睛熠熠放光,凝神注释着我的额头,眨也不眨。这似乎是她听人念书时的习性,刚才也是几乎和鸟贩脸叠在一起。我一直看着那一幕。这双黑亮美丽的大眼睛,是小舞女最美的所有物。双眼皮的线条无可形容地漂亮,还有她那如花般的笑容。笑靥如花的形容于她真是恰如其分。
片刻,餐馆女佣接小舞女来了,小舞女穿上衣裳对我说:
“我马上回来,你等我,接着再给我念啊。”
随后上了走廊,双手支地[59] :
“我去去就回。”
“万不能唱歌啊。”大娘说,她提起太鼓轻轻点了点头。大娘向我转过身:
“现在恰好在变声呢——”
小舞女在餐馆二楼端坐着打太鼓。那背影看着仿佛她就在我隔壁席上,太鼓的声音使我的心朗然跳跃。
“有太鼓加进去,席上就热闹了。”大娘也朝对过望去。
千代子和百合子也去了同一个酒席。
约莫一小时过后,四个人一齐回来了。
“只有这些……”说着,小舞女攥着的拳头里向大娘的手掌哗啦地落下五十钱银币[60] 。我又朗读了一会儿《水户黄门漫游记》。他们又提说起旅途中死去的孩子,生的是个水一般清透[61] 的婴儿,连哭的力气都没有,可气还是撑了一周。
没有好奇心,不含轻蔑,似是忘却了他们是走江湖卖艺的——我这种朴实的善意[62] ,似乎也渐渐感染了他们的心怀。我不觉间决定前往大岛的他们的家。
“要是大爷家里就好了,那里宽敞,把大爷撵出去就清静了,一直待着都行,也能学习。”她们在彼此闲谈中偶对我说道,“我们有两个小房子,山那边的家更亮堂些。”
此外,商定下来,正月时我会给他们帮忙,众人打算在波浮的港口演戏。
我渐渐悟得,他们的旅途心境,并非最初我所忖量的那般精明贪利[63] ,而是不失野性的悠游闲情;也感觉到,惟其是亲子兄妹,彼此才由至亲之爱紧紧相连着。只有受雇的百合子,也是生性羞怯,在我面前总是一声不响。
午夜过半,我离开木赁旅店,姑娘们送了出来。小舞女帮我摆齐了木屐。小舞女从门口探出头,遥望明朗夜空[64] 。
“啊,月亮。——明天就是下田了,真开心。给宝宝过了四十九天,让大娘给我买个梳子,然后还有各种活动呢,您带我去看电影吧。”
下田的港口,于伊豆相模的温泉乡一带串街卖艺的江湖艺人而言,在旅途中,那里是一个飘漾着思乡之情的城镇。
[54]原文是“何か唸っている”, 唸っている一般表示低声说话,可以专门表示谣曲中的唱念。
过往译本有的是“念什么台词”→原文没有说是台词,即使的确指的是谣曲唱念,但此时“我”还不知道荣吉在唱谣曲,所以不会知道那是台词。
[55]原文是“前後”,即四十前后
过往译本有的是“四十开外”→开外是“略超过一定数量”,与前后不能等同。
[56]原文是“鳥屋”,据大辞泉,该词一是指做鸟类生意的,一是指卖鸟肉的,而这种鸟肉是可食用的鸟类,特别是鸡肉。此处会在低等旅馆开店的,应该是第二种,但日语用词没有特别指出是卖鸡的,则此处仍沿用“鸟贩”的称呼,至多加以注解。
[57]原文“鳥屋が食べ荒した後の鳥鍋をつついていた” ,食べ荒した意为吃的乱糟糟;鳥鍋をつついていた即为在鸡肉火锅里戳夹。
过往译本有的是“到贴邻的小房间吃火锅”→把“在鸟贩胡吃一通后的肌肉火锅里戳夹”整个儿漏译了。
[58]原文是“生娘”,意为没有与男性有过亲密接触的女性,处女。
有的译本是“姑娘”→姑娘不能完全等于处女,语义略不符。
有的译本是“黄花闺女”→的确,黄花闺女在中文语境中是等于处女的,但这个词的来源是,中国古时候女子未出嫁时,喜爱贴黄花,而日本未必有此习惯,在作品的日本背景下,使用这个有明确中国特色词源的词并不妥当,毕竟小舞女不是中国人。
[59]原文“手を突いた”。
过往译本有的是“垂下双手施礼”→“手を突いた”不是垂手,据大辞泉,该词是指在表达敬礼、谢罪、恳求时,手支地的动作。
[60]原文“踊子は握り拳からおふくろの掌へ五十銭銀貨をざらざら落した” ,ざらざら形容许多小而硬的东西碰撞时的声响,是一种凌乱的动态
过往译本有的是“把手里攥着的五角钱银币放在阿妈的手掌上”→首先,五十钱不是五角钱,不能等同;其次,原文说的并不是直接放,而是动态的落下去。
[61]原文是“水のように透き通った”,“透き通った”是“透明、清澈”。
过往译本有的是“苍白”→原文的“水”或可能是一个隐喻,是一个重要的意象,应译出为宜,而且,如水一般清澈透明,也未必就是苍白。
[62]原文是“私の尋常な好意”,尋常即普通,有纯朴之意。
过往有的译本是“我这种不寻常的好意”,语义错误
[63]原文是“せちがらいもの”,意为生存艰难,后延伸为与之相关的处世态度,即因生活艰难而变得贪图小利,小气,精明等,结合前文说的“旅心”,即旅游时的心境,说明此处指的是延伸义,即精明贪利的处世态度,而不是生存状态。
过往译本皆是“艰辛,心酸”,文意不符。
[64]原文是“明るい空”明るい即明亮,指的是夜晚天空明亮。
过往译本有的是“一碧如洗的苍穹”,此时正是夜里,天空再明亮也是黑夜,不可能出现蓝色的一碧如洗。
有的是“澄彻湛蓝”,原文没说澄彻,且应是澄澈,也不蓝。
原文
夜、私が木賃宿に出向いて行くと、踊子はおふくろに三味線を習っているところだった。私を見るとやめてしまったが、おふくろの言葉でまた三味線を抱き上げた。歌う声が少し高くなるたびに、おふくろが言った。
「声を出しちゃいけないって言うのに」
栄吉は向かい側の料理屋の二階座敷に呼ばれて何か唸っているのが、こちらから見えた。
「あれはなんです」
「あれ――謡ですよ」
「謡は変だな」
「八百屋だから何をやり出すかわかりゃしません」
そこへこの木賃宿の間を借りて鳥屋をしているという四十前後の男が襖を明けて、ご馳走をすると娘たちを呼んだ。踊子は百合子と一緒に箸を持って隣りの間へ行き、鳥屋が食べ荒した後の鳥鍋をつついていた。こちらの部屋へ一緒に立って来る途中で、鳥屋が踊子の肩を軽く叩いた。おふくろが恐ろしい顔をした。
「こら。この子に触っておくれでないよ。生娘なんだからね」
踊子はおじさんおじさんと言いながら、鳥屋に「水戸黄門漫遊記」を読んでくれと頼んだ。しかし鳥屋はすぐに立って行った。続きを読んでくれと私に直接言えないので、おふくろから頼んで欲しいようなことを、踊子がしきりに言った。私は一つの期待を持って講談本を取り上げた。はたして踊子がするすると近寄って来た。私が読み出すと、彼女は私の肩に触るほどに顔を寄せて真剣な表情をしながら、眼をきらきらと輝かせて一心に私の額をみつめ、瞬き一つしなかった。これは彼女が本を読んで貰う時の癖らしかった。さっきも鳥屋とほとんど顔を重ねていた。私はそれを見ていたのだった。この美しく光る黒眼がちの大きい眼は踊子のいちばん美しい持ちものだった。二重瞼の線が言いようなく綺麗だった。それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うと言う言葉が彼女にはほんとうだった。
まもなく、料理屋の女中が踊子を迎えに来た。踊子は衣裳をつけて私に言った。
「すぐ戻って来ますから、待っていて続きを読んで下さいね」
それから廊下に出て手を突いた。
「行って参ります」
「決して歌うんじゃないよ」とおふくろが言うと、彼女は太鼓を提げて軽くうなずいた。おふくろは私を振り向いた。
「今ちょうど声変りなんですから――」
踊子は料理屋の二階にきちんと坐って太鼓を打っていた。
その後姿が隣り座敷のことのように見えた。太鼓の音は私の心を晴れやかに踊らせた。
「太鼓がはいるとお座敷が浮き立ちますね」とおふくろも向こうを見た。
千代子も百合子も同じ座敷へ行った。
一時間ほどすると四人一緒に帰って来た。
「これだけ……」と、踊子は握り拳からおふくろの掌へ五十銭銀貨をざらざら落した。私はまたしばらく「水戸黄門漫遊記」を口読した。彼らはまた旅で死んだ子供の話をした。水のように透き通った赤ん坊が生まれたのだそうである。泣く力もなかったが、それでも一週間息があったそうである。
好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼らが旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、私の尋常な好意は、彼らの胸にも沁み込んで行くらしかった。私はいつのまにか大島の彼らの家へ行くことにきまってしまっていた。
「爺さんのいる家ならいいね。あすこなら広いし、爺さんを追い出しとけば静かだから、いつまでいなさってもいいし、勉強もおできなさるし」なぞと彼ら同士で話し合っては私に言った。
「小さい家を二つ持っておりましてね、山の方の家は明いているようなものですもの」
また正月には私が手伝ってやって、波浮の港で皆が芝居をすることになっていた。
彼らの旅心は、最初私が考えていたほどせちがらいものでなく、野の匂いを失わないのんきなものであることも、私にわかって来た。親子兄弟であるだけに、それぞれ肉親らしい愛情で繋り合っていることも感じられた。雇女の百合子だけは、はにかみ盛りだからであるが、いつも私の前でむっつりしていた。
夜半を過ぎてから私は木賃宿を出た。娘たちが送って出た。踊子が下駄を直してくれた。踊子は門口から首を出して、明るい空を眺めた。
「ああ、お月さま。――明日は下田、嬉しいな。赤ん坊の四十九日をして、おっかさんに櫛を買って貰って、それからいろんなことがありますのよ。活動へ連れて行ってくださいましね」
下田の港は、伊豆相模の温泉場なぞを流して歩く旅芸人が、旅の空での故郷として懐しがるような空気の漂った町なのである。
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