皆さん、こんばんは。お休み日本語へようこそ。Katyaです。
今日朗読した文章は『幼年時代・父と子』
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幼年時代・父と子
私の知った最初の悲しみであった、そういう父母のいさかいが、どうかするとその翌朝になってもまだ続いていることがあった。
那是我最初知道的悲伤,父母之间的争执,有时候会一直延续到第二天早晨。
そういう時など、私はすぐ胸をいっぱいにして、彼らのそばをはなれ、こっそりと庭へ抜け出していった。そしてその一番隅にある、やっとその中に自分の小さな体がすっぽりと入れるような灌木のかげに身をひそめて、誰にも見られぬようにしながら、一人で悲しんでいた。私はそうやって自分ひとりで悲しんでいれば、すべてがよくなると、なぜかしら思い込んでいた。そうしてそのためにそこへ身をひそめただけで、もう目頭がいっぱいになって来るのを、やっとこらえながら、垣根の向うの、一面に雑草の茂った空地を、何か果てしなく遠いところのものを見ているかのように見ていたりした。ある日なんぞは、そういう自分の目の前に女の子のもつ手毬くらいの大きさの紫色の花がぽっかりと咲いているのに気が付いたが、すぐそれへは手を出さずに、ひとしきり泣いた後で、やっと許されたように、それをおずおずと手のひらにのせて弄んだりしていたこともある。
每当这个时候,我都会觉得胸口发闷,于是便马上从他们的身边走开,悄悄地来到院子中。我会走到院子最角落的地方,让自己小小的身体深深地躲进灌木的阴影里,不让任何人看到,独自一人悲伤。不知道为什么,我深信倘若自己就这样一个人伤心的话,那么一切都会好起来。为此,我就这样只是躲在那里,忍住已经噙满的泪水,望向篱笆对面杂草茂盛的空地,望向无际远方的某处。有一天,躲在那里的我发现自己眼前一朵紫色的花正在盛开,它的大小就像女孩子们玩的线球那样。我没有马上向花朵伸出手,而是稍微哭了一小会儿之后才仿佛终于被允许了一般把那花朵怯生生地放在手中,玩了起来。
そうやって私が庭の一隅にいつまでも身をひそめていると、そのうちにやっとおばあさんが私を探しに来た。いつもの私の隠れ場をよく知り抜いているくせに、おばあさんはわざわざとそういう私に気がつかないようなふりをして、何度も私の名を呼びながら、私の方へ近づいてきた。そうして私と隠れん坊でもしていたかのように、彼女のすぐ目の前に私を見つけて、わざとびっくりして見せた。それからもうそんな遊戯が終わったとでも言うように、「さあ、もうおうちん中へ入ろうね」とおばあさんは私に優しく言葉をかけて、私の手を無理にとった。
就这样,如果我在院子角落里躲得久了,祖母一定会来找我。祖母明明很了解我经常躲起来的地方,却特意装出找不到我的样子,她不停地叫我的名字,向我躲藏的地方靠近。然后,她仿佛在和我玩捉迷藏一般突然找到我,还会故意显得很吃惊的。就像在宣布游戏结束那样,祖母会很温柔地一边对我说:“我们进屋吧”,一边不由分说地拉起我的手。
崛辰雄的《幼年时代》记录了作者儿时生活的点点滴滴,笔致一如既往的细腻、清丽。本文节选自《父与子》,生动地描述了父母争吵之后年幼的“我”在心中所体会到的、人生最初的哀伤。结尾部分祖母寻“我”回房间的片段十分温馨。
どうもありがとうございました。
では、おやすみなさい。
主播 | Katya
小编 | 咸咸
责编 | 日语之声
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