またぎ忘れるところだった。迎え火がぱちぱち鳴らす音がやけに大きく聞こえる。ふと風が冷たく右肩を撫でたかと思うと、火は静かになった。でも、まだ、消えてはいない。
二五年ぶりに帰る故郷は、あのときのままだった。庭の焦げ茶色の台に並んだ盆栽も、古びた大きな井戸も、その横に咲く福寿草も、全部あのときのままだ。
僕がまだ幼い頃に父は死んだ。親の死に目には会えたのだが、これが幸せだったとは思えない。父は僕の手を握っていた。力が徐々に抜けていく。完全に脱力する前に僕は自分から手を放した。着物の帯をじっと見つめたまま、目を合わせることもなかった。
父の記憶はほとんど無いはずなのに、最近、歳をとるにつれて、自分のなかに父を見つけるようになった。酒を呑む手つき、煙草を吸う仕草、新聞を読む姿勢、小便をする時でさえ、父を感じる。
しかし、父が生きていた頃の記憶は、どういうわけか、すっぽりと抜け落ちている。故郷を出ることによって、父と僕とを結び付ける唯一の糸が切れてしまったかのようである。
父の書斎に入ると、その糸は少しずつ紡がれていった。新聞を読む父の後ろ姿が目の前に現れる。僕は確かにここにいた、あのとき、こうやって父の背中を見ていた。僕は父の子で、父は僕の父なんだと、僕は、あのときの僕と共にうなずいた。
机の前に腰を下ろす。無意識に手をかけた引き出しの中には、横長の四角に切り取られた藁半紙が百枚、束になって眠っていた。一枚一枚には「壱萬円」と子供の字で書かれている。あのときの僕から父への贈り物であろう。父はそれを大切に保管してくれていたようだ。僕に関心を持ってくれていた。急に父との距離が縮まった気がした。
日が暮れなずむ頃、きまって父を思い出す。幼い頃、目にしたであろう景色が目の前に現れる。そこには、父がいる。それを、僕は、いや、あのときの僕は、遠くから見つめている。きまって、西日が父の左半分を照らす。
送り火に紙のお札、あのときの百万円を一枚ずつそっと添える。火は、大きく燃え上がった。
―父さん、昔はね、百万円って一億円より高かったんだよ。これがあればね、何でもできたんだよ―
足元がふらついている。ずっとしゃがんでいたから。ゆっくりまたいだら、ふと、冷たい風を肩に感じた。そっと、息を吹きかける。灰になったあのときの百万円は、舞い上がった。
父さん、昔はね―
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