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「短话三则」欢迎来到村上春树的奇妙世界

「短话三则」欢迎来到村上春树的奇妙世界

作者: 戎茜RongXi | 来源:发表于2018-07-18 12:12 被阅读8次

    文 | 评论家 佐佐木敦

    翻译排版:戎茜

    校对定稿:弥生

          “同时发表最新3部短篇作品”——《文学界》杂志7月号刊登了的村上春树作品《短话三则》。事实上,这也算个不小的事件。之所以这么说,是因为这是时隔13年,村上的小说再次被登载在狭义的“文学杂志”上。上次是2005年,《新潮》杂志连载了几篇故事,这些故事收录于经过整理后成册的《东京奇谭集》。其最新短篇集《没有女人的男人们》刊登在《文艺春秋》。《文艺春秋》和《文学界》虽然属于相同的杂志社,但前者是综合类杂志,而非文学杂志。村上春树可谓当今“日本文学界最为另类的作家”了,如此特别的作家回归“文学杂志的世界”,或许并非什么大事,但我多少有些在意,这是否有更深一层的含义呢?

           实际上,《短话三则》中的每一篇都相当的短小。但莫不如说,正因为此,才清楚地体现出村上春树作为小说家的个性和才华。每一篇作品都是对村上水平高精准的提炼。三篇作品也都让人联想到作家自己,故事均以“我”为叙事方,所描写的中心内容都是他尚且年少时的回忆。

    01

             第一篇故事是《在石枕上》,讲述了19岁的“我”和在打工处结实的年长女性发生了一次肉体关系的故事。如今,回想起她同她度过的那一晚,“我”连她的名字也想不起来,此后也再没见过。她作短歌,那天后给“我”寄来了她的作品集。其实,无论过去还是现在,“我”都不是很懂短歌。但不可思议的是,她诗集中的8首诗,一直留在“我”的脑海中。这些诗全部被“引用”在小说当中。 “我”注意到她短歌中的大部分内容都一直在探寻“死亡的场景”。如今,她在何处?过得如何?是否还活着?还是说已经死了很久了?当然,“我”都不得而知。

    02

          《奶油》中的“我”,在18岁落榜时,从一个女生那里收到了一封演奏会的邀请函。这个女生曾经和“我”一同参加钢琴培训班,当时关系就并没有那么的好,而且多年未见,受到邀请“我”颇感惊讶。但还是回复说会出席。演奏会当天, “我”乘电车又倒了公车,到了一看,像会场的建筑物大门紧闭,根本不像有活动的样子。“我”一头雾水,搞不清楚原因,不过大概可能是被那女生给骗了。没办法只好到附近公园,在长椅上休息一会儿。此时出现了一位怪异的老人,给了“我”奇怪的忠告。虽然却对忠告的具体内容并未着墨,但这似乎就是 “村上风格”的迷之魅力了。

    03

          《查理·帕克演绎巴萨诺瓦》中的“我”,大学时在某大学的文学杂志上发表了一篇乐评。“我”在乐评中提到,本应于1955年去世的查理·帕克,实际上活到了1963年,并突然发表了其演奏巴萨诺瓦的专辑。当然,这是彻头彻尾的虚构作品。小说一开始就引用了“乐评”的主要内容。尽管这个乐评是一派胡言,但“我”觉得也算是相当不错的一篇文章了。十五年后,“我”由于工作逗留在纽约。在二手唱片店居然发现了《查理·帕克演绎巴萨诺瓦》这张专辑。不过可惜的是,“我”当时并没有买。第二天再到店里去时已经找不到这张专辑了,店主也说压根就没有这张专辑。之后又过了段时间,有天夜里查理·帕克出现在“我的梦中”……  

          《查理·帕克演绎巴萨诺瓦》最后是这样结束的。“你能相信吗?/还是信了比较好吧。毕竟是发生过的事儿。”可以说其他两则也传递着相同的信息。当然,除了作者之外,谁也不知道《短话三则》当中的内容是否真的是“实际发生过的事儿”。哪怕是像“我”捏造的《查理·帕克演绎巴萨诺瓦》那样,是纯粹虚构的内容,也没什么大问题。不过,既然说了“还是相信比较好”,那从某种意义上说,似乎就可以确定这是村上春树的真心话了。

            作为读者的我们,追求的是:这些小故事无论多么地难以置信,我们都当作是真的接受,之后编织出自己的想象与感慨。仔细想来,村上春树的小说都是这样的风格。他所书写的故事可以被当作是一种寓言。但他的作品并不是要显示出隐藏的寓意。或许可以理解为并没有独一无二的、明确的寓意。如果只有一种寓意的话,恐怕村上春树就不会特意写小说了吧。

    《文学界》杂志7月号封面

    原文

    村上春樹「三つの短い話」 佐々木敦

    『文学界』7月号に、「最新短編3作同時掲載」として、村上春樹「三つの短い話」が掲載されている。実はこれは、ちょっとした事件である。村上の小説が狭義の「文芸誌」に載ったのは、二〇〇五年に『東京奇譚集』としてまとめられる諸編が『新潮』に連載されて以来、じつに十三年ぶりのことであるからだ。最新短編集『女のいない男たち』は、『文学界』と同じ版元ではあっても、総合誌の『文芸春秋』に載ったものだった。だからどうということでもないのだが、現在の「日本文学」における最大の異端児と言ってもよい、この特異な作家の「文芸誌的世界」への帰還(というのも大袈裟(おおげさ)だが)が、何かを意味しているのかどうか、少しだけ気になりはしている。

    「三つの短い話」は、実際どれも、かなり短めの作品である。だが、むしろそれゆえにこそ、村上春樹という小説家の個性と才能を端的に表した、純度の高い仕上がりになっている。三編とも作家自身を思わせる「僕/ぼく」が語り手であり、語られる物語は、いずれも彼がまだ非常に若かった頃の思い出が中心である。

    最初の「石のまくらに」は、十九歳の「僕」がバイト先で知り合った年上の女性と一度だけ肉体関係を結んだ話。「僕」は今では名前も思い出せない、それきり二度と会うことのなかった彼女との一夜を回想する。彼女は短歌を詠んでいて、その日のあとに自作の歌集を送ってきた。「僕」は昔も今も短歌のことをよく知っているわけではないのだが、不思議なことに彼女の歌集の内の八首が、その後もずっと頭に残り続けることになった。その八首全部が小説の中に「引用」される。「僕」は彼女の短歌の多くが「死のイメージ」を追い求めていることに気づく。今、彼女がどこでどうしているのか、生きているのか、もしかしたらもうずっと昔に死んでしまったのか、もちろん「僕」にはわからない。

    「クリーム」の「ぼく」は、十八歳の浪人生のとき、かつてピアノ教室で一緒だった女の子から演奏会の招待状が届き、仲が良かったわけでもなく、何年も会っていなかったのにと怪訝(けげん)に思いながらも出席の返事をして、当日電車とバスを乗り継いで行ってみると、会場らしき建物は閉まっていて催しがあるとはとても思えない。「ぼく」には何がなんだかわからない。理由は不明だが、その女の子に騙(だま)されたのかもしれない。仕方なく近くの公園のベンチで休んでいると、奇妙な老人が現れて、奇妙な教えを告げられる。その内容はここには書かないが、なんとも村上春樹らしい謎めいて魅力的なものだとだけ言っておこう。

    「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」の「僕」は大学生の時、ある大学の文芸誌に、一九五五年に亡くなっているはずのC・パーカーが一九六三年まで実は生きていて、とつぜんボサノヴァのアルバムを発表した、というまったくの作り話をレコード・レビューの体裁で発表した。その文面が最初に「引用」される。嘘(うそ)八百にしては我ながらなかなかよく出来た文章だったと「僕」は思っている。ところがそれから十五年後、仕事で滞在していたニューヨークの中古レコード店で「僕」は「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」というレコードを発見する。しかし「僕」はそれを買いそびれてしまい、翌日あらためて店に行ってみると、そのレコードはどこにもなく、店主にもそんなものは存在しないと言われる。それからさらに時が過ぎて、ある夜「僕」の夢にC・パーカーが出てくる…。

    「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」の最後はこう結ばれている。「あなたにはそれが信じられるだろうか?/信じた方がいい。それはなにしろ実際に起きたことなのだから」。これは他の二編にも共通するメッセージと言っていいだろう。もちろん、これらの「三つの短い話」が本当に「実際に起きたこと」なのかどうかは作者以外の誰にもわからないことだし、たとえ「僕」がでっち上げた「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」のようにまったくの虚構であったとしても、それは特に問題ではない。だが「信じた方がいい」と、ある意味で村上春樹が本気で言っているのだということは確かだと思われる。

    読者である私たちは、これらのささやかな物語を-それがどれほどありそうもないような話であっても-とにかく真に受けて、そこから自分なりの想像や感慨を紡ぎ出していくことを求められているのだ。そして考えてみれば村上春樹の小説は、どれもそういうものである。彼の書く物語はすべて一種の寓話(ぐうわ)だと言っていい。しかしそれはそこに隠されている寓意が露(あら)わになればいいというものではない。というよりも、そこには唯一無二の明解な寓意があるわけではないのだ。もしもそれだけのことだったら、村上春樹はわざわざ小説など書きはしないだろう。

    (ささき・あつし=批評家)


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