跟大家分享一首歌,中岛美嘉翻唱自秋田弘的《曾经我也想要一了白了》。中岛美嘉演唱这种歌的时候正值人生的低谷,作为歌手的她患上了咽鼓管开放症,不得不终止自己的音乐活动专心疗养。而这首歌是在她几乎完全失聪的情况下演唱的,这歌版本完全是她当时个人经历的一个体现,所以听的时候才格外打动人,令人潸然泪下。
前半熟歌词写尽了人生低谷时所有绝望,每一句歌词都让人无比压抑,是经历绝望的人状况的真实写照,很有代入感,引起人的共鸣。但到后半部分时就像一只拨开阴霾的手,狠狠将你拽出黑暗。
就是这样啊,尽管经历了太多的痛苦,见过太多的不公平,生活仍存在阴暗,但是还有很多我们不曾见过的美好在未来等着我们,只要咬紧牙关,坚持下去,终会有一天我们踏出阴霾,张开手臂迎接美好,打不到我们的终将成就我们!
我还没有到可以分享音乐的等级,所以分享不了,建议大家将两个不同版本都听一下,不同版本,不同感受。
词:
仆が死のうと思ったのは ウミネコが桟桥で鸣いたから
波の随意に浮かんで消える 过去も啄ばんで飞んでいけ
仆が死のうと思ったのは 诞生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな
薄荷饴 渔港の灯台 锖びたアーチ桥 舍てた自転车
木造の駅のストーブの前で どこにも旅立てない心
今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど
仆が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと愿うから
仆が死のうと思ったのは 靴纽が解けたから
结びなおすのは苦手なんだよ 人との繋がりもまた然り
仆が死のうと思ったのは 少年が仆を见つめていたから
ベッドの上で土下座してるよ あの日の仆にごめんなさいと
パソコンの薄明かり 上阶の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音 耳を塞ぐ鸟かごの少年
见えない敌と戦ってる 六畳一间のドンキホーテ
ゴールはどうせ丑いものさ
仆が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから
爱されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから
仆が死のうと思ったのは あなたが绮丽に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから
仆が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ
あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ
曾经我也想过一了百了 因为有海猫在码头悲鸣
随着浪花起伏消没 叼啄着往昔飞离不见
曾经我也想过一了百了 因为生日那天杏花开放
若是在那洒下的阳光里打盹 能否与虫之死骸一同化为尘土呢
薄荷糖 渔港的灯塔 生锈的拱桥 丢弃的自行车
木造车站的暖炉前 无处可去的心灵
今天与昨天如此相像 想改变明天 必须改变今天
我知道 我知道 但是
曾经我也想过一了百了 因为心中已空无一物
感到空虚而哭泣 一定是渴望得到充实
曾经我也想过一了百了 因为鞋带松开了
不擅长重新系起 与人的牵绊亦是如此
曾经我也想过一了百了 因为少年深情凝视着我
抱膝跪在床上 向那天的我说抱歉
屏幕的微光 楼上的噪音
电话的铃声 紧塞住双耳 那笼中的少年
与看不见的敌人战斗着 六畳一间的堂吉诃德
反正目的也是一样丑陋
曾经我也想过一了百了 因为被人说是冷血
想要被爱而哭泣 是因为尝到了人的温暖
曾经我也想过一了百了 因为你灿烂的笑容
尽考虑着死的事 一定是因为太过认真地活
曾经我也想过一了百了 因为还未与你相遇
因为有像你这样的人出生 我对世界稍微有了好感
因为有像你这样的人活在这个世上 我对世界稍微有了期待
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