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夏目漱石《永日小品》之《悬物》 个人翻译

夏目漱石《永日小品》之《悬物》 个人翻译

作者: 切间美星 | 来源:发表于2019-08-04 17:18 被阅读2次

    夏目漱石《永日小品》之《悬物》 个人翻译

    悬物

    大刀老人下决心一定要在亡妻的谭祭时给她立上一块石碑。可现在是借着儿子微薄的收入才得以勉强度日,自是连一分钱都无力积攒。又到了春天,老人诉诸般的同儿子说道:“你母亲的忌辰也是三月八号啊。”

    “是吗?”儿子只是匆匆答应了一句。

    大刀老人最终还是决定要将祖上传下的一幅极为重要的画卖掉,凑巧给妻子修碑。儿子在内务省的社寺局工作,每月能有四十元的薪资,在养着妻子和两个孩子之上,还要对老人忠尽孝义,已是精疲力尽。如果大刀老人不在人世的话,那幅重要的画卷也应该早已为宽裕经济而做出贡献。

    这幅挂轴是长宽约莫一尺的画绢,在长年岁月的烟熏下显出了黑褐的色渍,往昏暗的房间里一挂,一片暗澹不明到底画的是什么。老人宣称这王若水(注:元代画家王渊,字若水。)所作的《葵》,他每个月会将锁在壁橱中的桐木箱取出一两次,拂去积尘,将放置其中的画小心翼翼的接出,直接挂在三尺高的墙壁,眼望欣赏着。细细一看,在一片煤褐的画面中,有一处有如瘀血般的大块斑痕,还有令人生疑是否是铜锈脱落的痕迹浅浅残留着。

    老人望着这幅模糊不清的中国画,甚至于觉得已经活的太长而忘却了这已然住厌的世间。有时他会一心凝望着画卷,叼起烟草,再捧上一碗茶,若这些都没有便只单单看着画。

    “爷爷,这是什么啊?”有孩子过来要用手指去戳挂轴时,他才会头次感到岁月的流逝般,告诫道:“这可不能碰。”而后静静的起身要将画重新卷起来。

    见状孩子便要爷爷给自己买铁炮玉(注:用黑砂糖做的糖球),“那我去给你买铁炮玉,就不要淘气哟。”老人说着话,慢慢将挂轴卷起,放回桐木箱中,锁进了壁橱里。

    这之后老人便到附近散了一圈步,归程时顺路到街道的糖果屋买了两袋掺有薄荷的铁炮玉,到家后哄着孩子将其交给了他。老人的儿子因为晚婚的缘故,两个孩子一个六岁,一个四岁。

    和儿子商量后的第二天,老人用包袱皮将桐木箱包个严实,一大早就出了门。到下午四点左右,却又完好的带了回来,孙子出楼梯口迎上来,又问爷爷要起铁炮玉,但老人一言不语的回到房间,打开箱子从中取出画来,挂在墙上又痴愣的望着出了神。

    他带着画转访了四五家古董店,但每家都说画上没落款,画面脱落什么的,似乎没有一家对画卷付以老人心中预期应有的尊重。

    儿子让老人把画甩手给古董店,老人却也回他不卖给古董店。约莫两周后,老人再次抱着桐木箱出门了,这次是得了介绍信,带去给儿子课长的朋友看了一通。然而那时也并未买着铁炮玉回来,儿子一回到家,老人便似在数落他的不仁不义般告诉他:“我怎能将画让给那样毫无眼力见的人,他那儿的东西,全都是赝品。”听到这话,儿子苦笑了一番。

    二月初的时候偶然得手一条不错的门路,老人遂将画卖给了一位收藏家,成交后的老人直接去了一趟谷中区,为亡妻定做了一座庄重的石碑,余下的钱全都存了起来。

    那之后过了五天左右,老人同平常一般出门散步,却较平日晚归近两个小时,回来时手上还抱着两大袋子的铁炮玉。似乎是对已转手的画卷安心不得,去找了买主请他让自己再看一眼,画卷在四叠半大小的茶间中静静高悬着,在其前方栽有一株透澈如晶的腊梅。

    “让他们拿着或许会更让人安心呢。”老人对儿子如此说道。

    “或许吧。”儿子回道。而孩子则有三天光在吃那两袋子铁炮玉。

    懸物

    大刀老人だいとうろうじんは亡妻の三回忌までにはきっと一基の石碑せきひを立ててやろうと決心した。けれども倅せがれの痩腕やせうでを便たよりに、ようやく今日こんにちを過すよりほかには、一銭の貯蓄もできかねて、また春になった。あれの命日も三月八日だがなと、訴えるような顔をして、倅に云うと、はあ、そうでしたっけと答えたぎりである。大刀老人は、とうとう先祖伝来の大切な一幅を売払って、金の工面くめんをしようときめた。倅に、どうだろうと相談すると、倅は恨うらめしいほど無雑作むぞうさにそれがいいでしょうと賛成してくれた。倅は内務省の社寺局へ出て四十円の月給を貰っている。女房に二人の子供がある上に、大刀老人に孝養を尽くすのだから骨が折れる。老人がいなければ大切な懸物かけものも、とうに融通の利きくものに変形したはずである。

     この懸物かけものは方一尺ほどの絹地で、時代のために煤竹すすだけのような色をしている。暗い座敷へ懸けると、暗澹あんたんとして何が画かいてあるか分らない。老人はこれを王若水おうじゃくすいの画いた葵あおいだと称している。そうして、月に一二度ぐらいずつ袋戸棚ふくろとだなから出して、桐きりの箱の塵ちりを払って、中のものを丁寧ていねいに取り出して、直じかに三尺の壁へ懸かけては、眺めている。なるほど眺めていると、煤すすけたうちに、古血のような大きな模様がある。緑青ろくしょうの剥はげた迹あとかと怪しまれる所も微かすかに残っている。老人はこの模糊もこたる唐画とうがの古蹟に対むかって、生き過ぎたと思うくらいに住み古した世の中を忘れてしまう。ある時は懸物かけものをじっと見つめながら、煙草たばこを吹かす。または御茶を飲む。でなければただ見つめている。御爺さん、これ、なあにと小供が来て指を触つけようとすると、始めて月日に気がついたように、老人は、触さわってはいけないよと云いながら、静かに立って、懸物を巻きにかかる。すると、小供が御爺さん鉄砲玉はと聞く。うん鉄砲玉を買って来るから、悪戯いたずらをしてはいけないよと云いながら、そろそろと懸物を巻いて、桐の箱へ入れて、袋戸棚ふくろとだなへしまって、そうしてそこいらを散歩しに出る。帰りには町内の飴屋あめやへ寄って、薄荷入はっかいりの鉄砲玉を二袋買って来て、そら鉄砲玉と云って、小供にやる。倅せがれが晩婚なので小供は六つと四つである。

     倅と相談をした翌日、老人は桐の箱を風呂敷ふろしきに包んで朝早くから出た。そうして四時頃になって、また桐の箱を持って帰って来た。小供が上り口まで出て、御爺さん鉄砲玉はと聞くと、老人は何にも云わずに、座敷へ来て、箱の中から懸物を出して、壁へ懸かけて、ぼんやり眺め出した。四五軒の道具屋を持って廻ったら、落款らっかんがないとか、画えが剥はげているとか云って、老人の予期したほどの尊敬を、懸物に払うものがなかったのだそうである。

     倅は道具屋は廃よしになさいと云った。老人も道具屋はいかんと云った。二週間ほどしてから、老人はまた桐の箱を抱かかえて出た。そうして倅の課長さんの友達の所へ、紹介を得て見せに行った。その時も鉄砲玉を買って来なかった。倅が帰るや否や、あんな眼の明あかない男にどうして譲れるものか、あすこにあるものは、みんな贋物にせものだ、とさも倅の不徳義のように云った。倅は苦笑していた。

     二月の初旬に偶然旨うまい伝手つてができて、老人はこの幅ふくを去る好事家こうずかに売った。老人は直ただちに谷中やなかへ行って、亡妻のために立派な石碑を誂あつらえた。そうしてその余りを郵便貯金にした。それから五日ほど立って、常のごとく散歩に出たが、いつもよりは二時間ほど後おくれて帰って来た。その時両手に大きな鉄砲玉の袋を二つ抱えていた。売り払った懸物が気にかかるから、もう一遍いっぺん見せて貰いに行ったら、四畳半の茶座敷にひっそりと懸かっていて、その前には透すき徹とおるような臘梅ろうばいが活いけてあったのだそうだ。老人はそこで御茶の御馳走ごちそうになったのだという。おれが持っているよりも安心かも知れないと老人は倅に云った。倅はそうかも知れませんと答えた。小供は三日間鉄砲玉ばかり食っていた。

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