中日文版的丰田管理理念分享给大家。这也是部门翻译成中文周早会学习内容。内容选自于日文原版《 トヨタが「現場」でずっと繰り返してきた言葉 》若松義人
如果抱着过剩的人员、过剩的设备、过剩的库存,无论是多么大的企业都会被迫陷入艰难苦战中。丰田在1950年曾濒临破产,大量裁员。然而,在那之后不久,日本企业就经历了被称为“朝鲜特需”(这里特别说明一下,这个朝鲜特需就是指中国抗美援朝时期,丰田是战需品提供企业)的经济好景气时期,丰田也多亏了充满活力的营业活动,从GHQ接到了大量的货车订单,量大到用当时的人数也来不及做出来。
当初同样大量削减了人员的其他同行业公司在这个时候雇佣了大量的人,但是丰田没有增加人员,而是调整了增加产量的态势。丰田生产方式真正开始运转是在这个时期。也就是说,用少量的人生产出不可能实现的数量,因此无论是设备的使用方法,还是人的工作方法,别无它法,都只能彻底改善。
这是因为当时的社长石田退三认为,特需只是一时的,如果按照以往那样因为忙而增加人的做法,一旦特需结束的时候会再次陷入痛苦。和“摆脱不景气”一样,为了“摆脱好景气”,不是增加人,而是增加设备,在工作方法上下功夫,这样的不断改善之后,以很少的人数完美地完成了大量订单,这直接造成了之后丰田的强大。虽然迎来了经济好景气,但是丰田的做法是不为了好景气而欢欣鼓舞,而是跨越经济好景气。
以下日文
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過剰な人員、過剰な設備、過剰な在庫を抱え込んでは、いかに大企業であっても相当な苦戦を強いられる。トヨタは一九五0に倒産の危機に瀕し、人員の大量解雇を行っている。ところが、それからほどなくして日本企業は「朝鮮特需」と呼ばれる好景気を経験することとなる。トヨタも精力的な営業活動のお陰もあり、GHQから大量のトラックを受注することとなった。現在の人員では間に合わないほどの大量注文だった。
同様に人員を削減していた同業他社はこのとき大量の人を雇い入れたが、トヨタは人を増やすことなく増産の態勢を整えた。トヨタ生産方式が本格的に動き始めたのはこの時期である。つまり、少ない人数でおよそ不可能といえるほどの台数をつくるわけだから、機械の使い方にしろ、人の仕事のやり方にしろ、徹底して改善するほかはなかった。
これは、当時の社長・石田退三氏が、特需は一時的なもので、忙しいから人を増やすという従来通りのやり方では、特需が去ったときに再び苦しむことになると考えたからだ。「不況を切り抜ける」と同様に、「好況を切り抜ける」ために、人を増やすのではなく機械を増やし、仕事のやり方を工夫するという改善に次ぐ改善によって、少ない人数で大量注文を見事にこなしたことが、その後のトヨタの強さにつながる。好況は迎え入れるが、好況に踊ることなく、好況を切り抜けるのがトヨタのやり方だ。
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