七、八十年代引进的第一部日本电影是《追捕》,片中男主角高仓健饱含正义与浪漫的形象深深地影响了许多人。高仓健主演的《追捕》、《远山的呼喊》、《幸福的黄手帕》等电影都曾在中国上映,并成为了荧幕上的经典。作为昭和时期的影坛巨星,他成了那个年代中日人民的集体记忆。
高仓健除了拥有精湛的演技之外,还擅长于写作。他在上世纪80年代后期专注于文学创作,发表了不少作品,他所著的《期待着您的夸奖》和《南极的企鹅》曾在中国出版。
若论一生中对高仓健影响最大的人,自然是他的母亲,高仓健追忆母亲之情的《期待着您的夸奖》非常动人,曾为他赢得了1993年第13届日本文艺大奖的最佳随笔奖。另一篇写母亲的文章《家乡的母亲》,刊登在新星出版社出版的《南极的企鹅》(2007年)中。
《故郷のお母さん・家乡的母亲》—高倉健
❥お母さんが死んだ時、僕は「あ・うん」という映画の撮影中だった。
葬儀に間に合わず、一週間も遅れて故郷に帰った。
ღ母亲去世时,我正在拍摄电影《啊·嗯》,
所以未能赶上葬礼,迟了一周才回到家乡。
❥型どおりお線香をあげて、拝んでいるうちに、お母さんの骨が見たくなった。
仏壇の骨箱を開け、お母さんの骨を見ていた。
急に無性にお母さんと別れたくなくなって、
骨をばりばりかじってしまった。
ღ我按照惯例,点上线香,开始祭拜的时候,
很想看看妈妈的遗骨。
于是打开了骨灰盒,拿出妈妈的遗骨看。
不知为何,怎么也不想和妈妈分开,
突然就拿起遗骨“咯吱咯吱”地咬了起来。
❥傍にいた妹たちは「お兄さん、止めて!」と悲鳴を上げた。
多分、妹たちは僕の頭がおかしくなったと思ったのだろう。
でもそうではない。
理屈ではなく、その時、お母さんとどうしても別れたくないと強く思ったのだ。
ღ旁边的妹妹吓坏了,惊呼“哥哥,你怎么了?”
估计她们一定是以为我脑子出了问题。
其实并非如此,那时候,没来由地,有着强烈的不愿与妈妈分开的想法。
❥僕は体の弱い少年だった。
病気になると、お母さんは僕の傍にずっといてくれた。
熱で熱い僕の額に濡れた手ぬぐいを当ててくれた。
一晩中何度も何度も換えてくれた。
背中も擦り続けてくれた。
ღ我年少的时候体弱多病,
每次生病,妈妈都一直陪伴在我身边。
用湿毛巾贴着我发烧的额头。
一晚上,不停地她给我换很多很多次毛巾,
还不时地帮我搓擦后背。
❥僕は大人になってからも、故郷にいるお母さんは僕の身を心配していた。
「もうそんな辛い仕事ば止めて、早くこっちに帰ってきなさい」
お母さんから何度かその手紙をもらった。
ღ等我长大成人之后,家乡的妈妈还是为我操心。
我多次收到妈妈“你工作那么辛劳,别干了吧。趁早回家来吧”之类的信。
❥真冬の雪山や、北極や南極に行くのも、お母さんには知らせなかった。
でもお母さんは僕の出る映画を必ず見ていた。
映画のストーリーを見るより、僕は危険な目に逢っていないかを見ていた。
危険を感じると、「仕事を止めろ」と長い手紙をくれた。
ღ为了不让妈妈担心,我去严冬的雪山、南极和北极的时候都不会告诉妈妈。
但是,只要是我演的电影,妈妈都会去看。
与其说是看故事情节,她更主要是看我是否遇到危险。
每当她觉得我有危险,都会写很长的信劝我别干了。
❥「皸が足にできちょるね、もう寒いところで撮影はしなさんな、
会社の人に頼んでみたらどうね」
お母さんからそんな手紙をもらったこともある。
僕の映画のポスターを見て 皸に気づいたと書いてあった。
その写真を撮影する時、僕の周りにはたくさん人がいた、
メイクさんや衣装さんや、カメラマン。
ぼくは皸を隠したかった。
肌と同じ色の絆創膏を貼った。
誰も皸に気づかなかった。
でもポスターを見ただけなのに
お母さんには分かってしまった。
ღ“我看你脚上都有冻疮了,那么冷的地方,
就别拍电影了。你不能和公司的人说说吗?”
有一次我收到妈妈上面的信。
她说是看电影的宣传画发现我脚上有冻伤的。
当时拍照的时候,我周围很多人:
化妆师、服装师、摄影师等。
当时我为了不让拍到冻伤,特意贴了和皮肤一样颜色的创可贴,
所以其他人都没有发觉。
可是妈妈只是看了宣传画就发现了我脚上的冻伤。
❥手紙を読み終わった僕はお母さんの手の暖かさを思い出した。
熱があるかどうか よく僕の額に手を当てくれていた その手の暖かさだ
急にお母さんに会いたくなって 故郷に帰った。
ღ读完妈妈的信,我想到了妈妈的温暖的手。
——经常把手放到我额头,摸摸我有没有发烧时候,妈妈那温暖的手。
想到妈妈温暖的手,一下子就特想回家,所以就踏上了归程。
❥それなのに顔を合わせると、口げんかが始まった。
いつまでも僕を子ども扱いして、こまごまと注意する。
それがうるさくて、つい言い返してしまった。
ほんとうは「ありがとう!」と言いたかったのに、
それからも会うたびによく口げんかした。
もうあんな口調で僕に話しかけてくれる人はいない。
ღ可是每次回家,都会和妈妈吵嘴。
因为她总是把我当成孩子,一点点小事就不时地提醒我。
我觉得烦,不自觉的就会还嘴。
其实我是想说“妈妈,谢谢你!”。
之后每次回家,仍是不停地和妈妈吵嘴。
不过,今后再也没有人会用那种口吻和我说话了。
❥人生には深い喜びがある
骨になってもなお分かれたくないと思える
愛する人に出会える喜びだ
ღ人生有难以言表的喜悦,
那就是——
遇到即便成为骨灰,仍然不想和她分开的人的喜悦。
❥人生には深い悲しみもある
そんな愛する人とも
いつか必ず別れなければならないことだ。
ღ人生也有难以言表的悲伤,
那就是——
即便深爱如此的人,总有一天要和她分手。
❥でも、お母さんは僕の中で生き続けている。
❤️但是,妈妈一直活在我的心中。
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