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【日本文学】《蜜柑》连载(02)

【日本文学】《蜜柑》连载(02)

作者: 日语之声 | 来源:发表于2019-05-17 00:12 被阅读1次


    芥川龙之介(1892~1927),日本小说家。

    其作品《蜜柑》中,主人公“我”在火车上面见到了一个头发干枯,衣着邋遢的乡下小姑娘在乘车去当女佣的途中,拼命打开车窗,目的是把自己带着的仅有的几个金黄的橘子送给了特地前来送行的弟弟们。作者观察细致,抓住旅途中一点小小的片段,用白描的手法,着力刻画了主人公“我”的厌世与百无聊赖与小姑娘虽然衣着邋遢却拥有一颗美好的心灵。

    上期回顾 

    《蜜柑》连载(01)


    蜜柑 02

    それは油気のない髪をひっつめの銀杏返いちょうがえしに結って、横なでの痕あとのある皸ひびだらけの両頬ほおを気持の悪い程赤く火照ほてらせた、如何いかにも田舎者いなかものらしい娘だった。しかも垢あかじみた萌黄色もえぎいろの毛糸の襟巻えりまきがだらりと垂れ下った膝ひざの上には、大きな風呂敷包みがあった。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。


    那是个地道的乡下姑娘。没有油性的头发挽成银杏髻红得刺目的双颊上横着一道道皲裂的痕迹。一条肮脏的淡绿色毛线围巾一直耷拉到放着一个大包袱的膝头上,捧着包袱的满是冻疮的手里,小心翼翼地紧紧攥着一张红色的三等车票。我不喜欢姑娘那张俗气的脸相,那身邋遢的服装也使我不快。


    最後にその二等と三等との区別さえもわきまえない愚鈍な心が腹立たしかった。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云う心もちもあって、今度はポッケットの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。するとその時夕刊の紙面に落ちていた外光が、突然電燈の光に変って、刷すりの悪い何欄かの活字が意外な位鮮あざやかに私の眼の前へ浮んで来た。云うまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道トンネルの最初のそれへはいったのである。


    更让我生气的是,她竟蠢到连二等车和三等车都分不清楚。因此,点上烟卷。 之后,也是有意要忘掉姑娘这个人,我就把大衣兜里的晚报随便摊在膝盖上。这时,从窗外射到晚报上的光线突然由电灯光代替了,印刷质量不高的几栏铅字格外明显地映入眼帘。不用说,火车现在已经驶进横须贺线上很多隧道中的第一个隧道。


    しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂鬱ゆううつを慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。講和問題、新婦新郎、涜職とくしよく事件、死亡広告——私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠さくばくとした記事から記事へ殆ほとんど機械的に眼を通した。が、その間も勿論もちろんあの小娘が、あたかも卑俗な現実を人間にしたような面持おももちで、私の前に坐っている事を絶えず意識せずにはいられなかった。


    在灯光映照下,我溜了一眼晚报,上面刊登的净是人世间一些平凡的事情,媾和问题啦,新婚夫妇啦,读职事件啦,讣闻等等,都解不了闷儿——进入隧道的那一瞬间,我产生了一种错觉,仿佛火车在倒着开似的,同时,近乎机械地浏览着这一条条索然无味的消息。然而,这期间,我不得不始终意识到那姑娘正端坐在我面前,脸上的神气俨然是这卑俗的现实的人格化。


    この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋うずまっている夕刊と、——これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。私は一切がくだらなくなって、読みかけた夕刊を抛ほうり出すと、又窓枠に頭を靠もたせながら、死んだように眼をつぶって、うつらうつらし始めた。

     

    正在隧道里穿行着的火车,以及这个乡下姑娘,还有这份满是平凡消息的晚报——这不是象征又是什么呢?不是这不可思议的、庸碌而无聊的人生的象征,又是什么呢?我对一切都感到心灰意懒,就将还没读完的晚报撇在一边,又把头靠在窗框上,像死人一般阖上眼睛,打起吨儿来。 


    主播 | 小执

    小编 | reno

    责编 | 日语之声

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