最後は智史。 智史は同い年だけど学年は僕らの一個上。 彼はすでにRADWIMPSと名乗って出場した全国バンド大会に違うバンドのメンバーとして出場していた。 その名を『をかし』 。 当時から思っていたが今考えても微妙なバンド名である。 決勝大会が開かれた横浜アリーナでは僕らがトリ、 トップバッターが『をかし』 だった。 彼らはメタルバンドだった。 智史はあの優しい顔でツインペダル(*5)を駆使し、 バンドはなぜか失恋をテーマにした歌をシャウトで叫ぶという独特の路線で勝負していた。 後に智史が振り返るところによると、 「大会の景気づけにトップバッターとして使われた」 とのことだった。 だが演奏やテクニックは当時のラッドとは比べ物にならないほど上手で、 逆に僕たちはそこに出場してるどのバンドよりも下手くそだった。 それは他のバンドも認めるところだった。
最后是山口智史。智史虽然和我同岁但比我高一年级。当时我们以RADWIMPS的名字参加全国大赛,而他作为其他乐队的成员也参赛了。那个乐队的名字叫WOKASHI。从那时我就觉得,现在想起来也觉得这是一个很微妙的乐队名字。决赛是在横滨的体育馆里,不过我们是最后登场,而WOKASHI打头阵。他们是重金属乐队。智史以他那张温柔的面孔踩着双踏,但不知为什么乐队以声嘶力竭地方式演唱着以失恋为主题的歌,企图以这种独特的方式来一决胜负。后来,智史回顾这场比赛,这样说道“大赛只是想用我们这支乐队来热场”。但是无论演奏还是技巧都是当时的RAD比不上的,实际上我们比那里任何一支出场的乐队都要差劲。这一点也是其他乐队都默认的。
その大会後これといって連絡を取ったりすることもなかったが、 数年後、 桑原が偶然に街でティッシュくばりをしてる智史を発見、 その後ドラムを探すときにその再会がきっかけで誘うことになったのだから不思議な縁だ。
虽然在比赛之后也没有再联系过,但数年后,桑原偶然在街上发现了正在发广告的智史,在正寻找鼓手的时候再遇见了他,便立即发出了邀请,真是不可思议的缘分啊。
当時の智史は音大に入ったはいいが、 ろくに学校に行かず麻雀とバイトに精を出す堕落した生活をしていたとのこと。 そんな中インディーズではあったが横浜では少し名の知れた僕たちのバンドからメンバー加入の誘いがきた智史は舞い上がったそうな。「俺ほんと、 このバンドに命かけるから。 やらしてください。 ほんと、 がんばります」 。 新横浜のファーストキッチンで桑と二人で会った僕らは彼のまっすぐさに感銘を受けた。
当时的智史虽然进入了音乐大学,但是基本都没去上课,而是过上了以打麻将和打工为主的堕落生活。 虽然我们是独立乐队,不过在横滨基本没什么名气,不过接到我们乐队的邀请而加入的智史却高兴地飞了起来。 “我真的,会为了这个乐队拼尽全力的。让我加入吧。真的,我会全力以赴的”。在新横滨的First Kitchen我和桑君与他见了面,他的直率让我们印象极其深刻。
それから数ヶ月して武田が正式加入すると本格的にリハやライブなどが決まっていった。 年長者として僕らも智史は頼りにしていたし、 智史もそれを自覚していたようだった。 リーダーは智史かななんて話に自然となる中、 それでも彼は「俺まだこのバンドに正式に認められたと思ってないから。 これからの頑張り次第だと思ってる。 マジ、 彼女とか作ってる場合じゃないし、 バンドに賭けるよ」 と到って冷静。 そんな言葉を頼もしく聞いていた。
几个月后,武田正式加入并决定开始真正的排练和演唱会。我们都很信赖大一年级的智史,而且智史似乎也知道这一点。如果智史当队长的话那是自然而然的事,但他还是非常冷静地说“我觉得自己还没被这个乐队正式认可了。我认为这得靠我今后的努力。说真的,这并不是和女朋友一起随便玩玩就行了,乐队是得拿性命去拼的”听到这样的话真可靠啊。
最初のこのメンバー4人でのライブは散々な出来だった。 横浜のClub 24 West。 僕の大学受験での活動休止、 新メンバー加入を経て久々のラッド復活ということでお客さんは結構きてくれたが、 期待にはとてもこたえられるようなライブではなかった。 一様に落ち込むメンバー。 意気消沈。 関わった人たちにお礼もあるので一応打ち上げがそのライブハウスで開かれた。 桑、 武田共にそれぞれの反省点を悔しそうに語る。 俺自身不甲斐ない想いを二人に打ち明けた。 何よりも危機感があった。
俺は俺で二人を引き込んだ責任があった。 このままではだめだ。 いい曲を書きたい。死ぬ気でやる。 誰にも書けない曲を書いて、 いいライブバンドになってやる。 そんな想いを新たにした。
我们四人最初的现场演唱会相当糟糕。横滨的Club 24 West。自我大学入学考试而停止活动后,有新成员加入的久别的RAD又满血复活了,当天来了很多的观众,但这并不是一场值得期待的现场表演。一样沮丧的成员。意志消沉。但还是非常感谢工作人员,在举办演唱会的地方开了庆功宴。桑君、武田都各自懊恼地反省着。我也对他们说了一些丧气话。一种危机感油然而生。
让他们陷入情绪低谷,我也有责任。这样下去是绝对不行的。我想创作出好的歌曲,就算死也愿意。要写别人都写不出来的歌,成为超棒的现场乐队。我萌生了这样的想法。
ふと周りを見渡す。 智史の姿がどこにもない。 俺はこの気持ちを智史とも共有したい。 そっか、 あいつは誰よりもこのライブに賭ける想いが強かった。 まだラッドのメンバーとして認めてもらえない、 こんなんじゃダメだ。 合わせる顔がない。 そうやって自分を責めてるに違いない。 もしかしたらトイレで泣いてるのかもしれない。 メンバー3人、 手分けしてライブハウス中を探した。 そしてようやく発見、 彼は楽屋の中にいた。だが様子がおかしい。
我蓦然环顾四周,可到处都没有看到智史的身影。我想立即和智史分享这份心情。对啊,那家伙比任何人都想拼尽全力做好演唱会。“还没得到RAD全体成员的认可,这样还不行。我没脸见他们。”他一定在这样自责。也许正在厕所里哭泣也说不一定。我们3人,分头在LIVEHOUSE里寻找智史。最后终于发现,他在后台里面。但是情况有点不对劲。
楽屋にはもう一人、 女の子が。 今日来てくれたお客さん。 しかも武田の幼なじみ。 二人はなにやらすごく楽しそうに談笑している。 距離が近い。 やたらと近い。 僕らが付け入る隙がまるでない。 そして武田が話しかけようと楽屋に一歩足を踏み入れるやいなや、 衝撃の一言。
「おい、 ちょっとあっち行っててよ」 (手の甲を使って「シッシッ」 の仕草)
后台里还有一个人,一个女孩子。是今天来的一位观众。而且还是武田的青梅竹马。两人不知在谈什么笑得很开心。距离很近,实在太近了。搞得我们连插进来的间隙都没有。后面武田还想和他说话,刚一踏进后台,就受到一句极富冲击性的话。
“喂,你走开一点”(手背来回挥动发出“丝丝”声音)
あんなに怒りを押し殺す武田を見たのは後にも先にもあのときだけだ。 その日の武田は本気で目が血走っていた。 俺と桑は笑いながらも心の中で「あぁ次のドラム探さねえとなぁ」 なんてことをぼんやり考えていたんだろう。
しかし結果的にその楽屋でイチャついていた相手こそ、 今の嫁さんなのだから一途な男である。 男前。
这是第一次也是最后一次看到武田那样的强忍着怒火。那天的武田是真的生气了,眼睛里都冒着血。我和桑君都一边笑着,一边在心里考虑着“我们得换一个鼓手了”。
可是最终,那个在后台笑谈的对象居然成了现在的老婆,可见智史真的是一个专一的男人啊,是个男子汉。
智史はとことん素直なやつだ。 調子にのる時はどこまでも天狗になるし、 へこむ時は誰よりもへこんだ。 俺が一番むかついた回数が多いのも、 一番泣かせた回数が多いのも、 一番その言葉に励まされたのも智史だと思う。
でも智史は変わった。 ほんとに。 いまだにナイーブだし、 あまちゃんでどうしようもないなと思うところはいっぱいあるけど。 一人の人間の変遷をこんなに間近で見る機会はなかなかない。 彼がどんどんたくましく、 男らしくなってる。 大人になったという意味では、 4人の中で一番変わったのは智史だろう。 これからも頼りにしてるよ。
智史真的是个非常坦率的家伙。顺境的时候比谁都要得意,逆境的时候比谁都要谦逊。让我生气次数最多,让我哭泣次数最多,也是鼓励我最多的都是智史。
但是智史变了,真的。虽然现在还是很天真,常常处事还是很幼稚。但是再也没有机会在这么短的时间里看到一个人急速的变化。他变得越来越坚强,越来越有男子气概。从变成真正大人的角度来看,四个人中变化最大的应该是智史了吧。以后也要继续靠你咯。
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