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【日语共读】《罗生门》连载(2)

【日语共读】《罗生门》连载(2)

作者: 日语之声 | 来源:发表于2018-11-24 01:26 被阅读1次

    作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別(かくべつ)どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論(もちろん)、主人の家へ帰る可(べ)き筈(はず)である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微(すいび)していた。今この下人が、永年(なかねん)、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波(よは)にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方(とほう)にくれていた」と云う方が、適当(てきとう)である。その上、今日の空模様も少(すくな)からず、この平安朝(へいあんちょう)の下人の Sentimentalisme(センチメンタリズム) に影響した。申(さる)の刻(こく)下(さが)りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り(さしあたり)明日(あす)の暮(くら)しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路(すざくおおじ)にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。

    说是这家将在避雨,可是雨停之后,他也想不出要上哪里去。照说应当回主人家去,可是主人在四五天前已把他辞退了。上边提到,当时京城市面正是一片萧条,现在这家将被多年老主人辞退出来,也不外是这萧条的一个小小的余波。所以家将的避雨,说正确一点,便是“被雨淋湿的家将,正在无路可走”。而且今天的天气也影响了这位平安朝①家将的忧郁的心情。从申末下起的雨,到西时还没停下来。家将一边不断地在想明天的日子怎样过——也就是从无办法中求办法,一边耳朵里似听非听的听着朱雀大路上的雨声。

    ①平安朝,公元七九四年—一九二年。

    雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇(ゆうやみ)は次第(したい)に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍(いらか)の先に、重(おも)たくうす暗(ぐら)い雲を支えている。

    而包围着罗生门从远处飒飒地打过来,黄昏渐渐压到头顶,抬头望望门楼顶上斜出的飞檐上正挑起一朵沉重的暗云。

    どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、築土(ついじ)の下か、道ばたの土の上で、饑死(うえじに)をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した揚句(あげく)に、やっとこの局所(きょくしょ)へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定(こうてい)しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人(ぬすびと)になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的(せっきょくてき)に肯定するだけの、勇気が出(で)ずにいたのである。

    要从无办法中找办法,便只好不择手段。要择手段便只有饿死在街头的垃圾堆里,然后像狗一样,被人拖到这门上扔掉。倘若不择手段哩——家将反复想了多次,最后便跑到这儿来了。可是这“倘若”,想来想去结果还是一个“倘若”。原来家将既决定不择手段,又加上了一个“倘若”,对于以后要去干的“走当强盗的路”,当然是提不起积极肯定的勇气了。

    好了,本期共读栏目到此结束,下周四我们继续,では、皆さん、おやすみなさい.

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