皆さん こんばんは。欢迎收听今晚的听力栏目,我是主播婷子。今天的听力片段选自日剧《一公升的眼泪》。
故事的主人公—池内亚也是一个开朗活泼的花季少女,然而在她15岁时一场突如其来的灾难降临,亚也患上了一种病因不明的骨髓小脑变异症。病变使得亚也的身体运动机能慢慢衰弱,手脚自主活动与语言能力也随着逐渐丧失。妈妈为了能专心照顾亚决定辞去心仪的工作,班上的同学们也渐渐表示不满亚也给大家带来的许多麻烦。最终亚也下定决心转学到残疾人学校就读,在班会上向所有的同学做了告别,接下来让我们一起来听听来自亚也的告别吧。
では、一緒に聞きましょう。
セリフ亚也:
知ってる人もいると思いますけど、私の病気は治りません。治療法がないみたいです。いつか歩くことも、立つことも、話すこともできなくなるとお医者さんに言われました。この一年で当たり前にできていたことが一つ一つできなくなってきました。
夢の中では、友達と喋りながら歩いたり、バスケをしながら思いっきり走ったりできるのに、目が醒めると、もう自由には動けない体があるんです。毎日が変わってしまいました。転ばないために、どう歩いたらいいのか?どうすればお弁当を早く食べれるのか?どうすれば人の視線を気にしないでいいのか?一つ一つ頭の中で考えなきゃ、生きていけません。
高校に行って、大学に行って、仕事をして、そんな風に思いえがいた未来がゼロになっちゃいました。生きていく道が見つからなくて、小さな希望も光も見えなくて、病気になったせいで私の人生は壊れてしまったって、何度も思いました。でも、でも、悲しいけど、これが現実です。どんなに泣いても病気からは逃げられないし、過去に戻りたくても、時間は戻せないし、だったら、自分で今の自分を好きになってあげなくちゃってそう思いました。
だって、この体になってから、初めて気づいたことがたくさんあるから、そばにいてくれるだけで、家族ってありがたいだなぁとか、さりげなく支えてくれる友達の手がすごく暖かたりとか、健康のことがそれだけですごく幸せのこととか、病気になったからって、失うばかりじゃありませんでした。
この体の私が私だって、障害っていう重い荷背負っている私が、今の私なんだって胸を張って生きて行こうと思いました。だから、養護学校に行くことは自分で決めました。みんなとは生きる場所は違うけど、これからは自分で選んだ道の中に一步一步、光を見つけたいから、そう笑って言えるようになるまでに、私には少なくとも1リットルの涙が必要でした。
译文
亚也:我想大家都已经知道了,我的病是治不好的,好像也没有治疗的方法。被医生告知总有一天我将不能走路、站立、说话。在这一年里,理所当然能做的事情变得一件一件不会做了。
在梦里中,我能和同学一起说话走路,一起打篮球,尽情的奔跑。但一睁开眼,只有不能再自由活动的身体,每天都在变差。为了不摔倒,要怎样走路才好呢?要怎样才能快点吃完便当呢?怎么做才能不介意别人的眼光呢?我不得不在脑中一一考虑这些,生活下去。
上高中,上大学,去工作,这样描绘出的未来,已经不可能实现了,找不到生存下去的道路,连微小的希望也看不到。因为生病,我的人生被毁掉了,好几次我都这么想。但是,但是,虽然很悲伤,但这是现实。不管怎样哭泣,也逃避不了病魔。就是想要回到过去,时间也不会倒流。所以,我想,一定要自己喜欢上这样的自己。
然而自从身体变成这样之后,才体会到许多事,家人只是陪在我身边,就让我觉得很可贵,装作若无其事,帮助我的朋友们,你们的手非常温暖,拥有健康的身体,只是如此就已经很幸福了。虽然生病了,但也并不是只有失去。
身体变成这样的我,就算是我,被人说是残疾,背着包袱的我,我就是现在的我,我会抬头挺胸的活下去。因此,我自己决定了,要去养护学校,虽然和大家生活的地方不一样。今后我想在自己选择的道路上一步一步的寻找光明,直到我能像现在这样微笑着说话为止,我最少需要一公升的眼泪。
単語
思いっきり:尽情,痛快,彻底。
ありがたい:难得的;值得感谢的。
さりげない:若无其事,不露声色。
胸を張る:<惯用句>充满自信,昂首挺胸。
“我还要沉浸在悲痛中多久,还要流多少眼泪,一公升就应足够了吧”,看完这部剧我大概需要一公升的眼泪吧。在世界上或许存在着许多像亚也一样身患现在医学仍无法治愈的疾病,面对身处病痛折磨的他们,我们除了眼泪和心疼却什么也做不了。生老病死,是每个人都摆脱不了的命数,对于亚也犹是如此,不过剧中,我们见到的却是一个坚强,微笑应对人生甚至是死亡的一个15 岁少女形象,从亚也的经历我们也更能感知健康活着就是一件最幸福的事了。
きょうはここまで、また来週ね。では 皆さんおやすみなさい。
本期监制: 日语之声
本期小编: 沫 言
本期主播: 婷 子
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