十八歳の年の僕にとつて最高の書物はジョン・アップダイクの『ケンタウロス』だったが何度か読みかえすうちにそれは少しずつ最初の輝きを失って、フィッツジスラルドの『グレート・ギャツビイ』にベスト・ワンの地位をゆずりわたすことになった。
そして『グレート・ギャツビイ』はその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた。僕は気が向くと書棚から『グレート・ギヤッピイ』をとりだし、出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣にしていたが、ただの一度も失望させられることはなかった。一ページとしてつまらないページはなかった。なんて素晴しいんだろうと僕は思った。そして人々にその素晴しさを伝えたいと思った。しかし僕のまわりには『グレート・ギャツビイ』を読んだことのある人間なんていなかったし、読んでもいいと思いそうな人間すらいなかった。一九六八年にスコット・フィッツジェラルドを読むというのは反動とまではいかなくとも、決して推奨される行為ではなかった。
十八岁那年,我最喜欢的书是阿普戴克的“半人半马的怪物”。但读过几次之后,渐渐地觉得乏味起来,后来这个位子便给费杰罗的“华丽的盖兹比”占走了。
而“华丽的盖兹比”在那之后便一直高踞不下。心情好的时候,我会使书架上抽出“华丽的盖兹比”,随手翻开一页就读他一阵,可就从来不曾失望过。书里没有一页是乏味的。我当时觉得这书实在好极了,便想要将它的好告诉大家。可惜我身边就是没有一个人看过这本书,就连想看的人都没有。因为时值一九六八年,在当时你若读史考特、费杰罗的作品,即使还不算是反动行为,也绝不会受到鼓励。
その当時僕のまわりで『グレート・ギャツビイ』を読んだことのある人間はたった一人しかいなかったし、僕と彼が親しくなったのもそのせいだった。彼は永沢という名の東大の法学部の学生で、僕より学年がふたつ上だった。我々は同じ寮に住んでいて、一応お互い顔だけは知っているという間柄だったのだが、ある日僕が食堂の日だまりで日なたぼっこをしながら『グレート・ギャツビイ』を読んでいると、となりに座って何を読んでいるのかと訊いた。『グレート・ギャツビイ』だと僕は言った。面白いかと彼は訊いた。通して読むのは三度めだが読みかえせば読みかえすほど面白いと感じる部分がふえてくると僕は答えた。
那时,我身边只有一个人看过“华丽的盖兹比”,我之所以和他熟稔起来也是因为这个缘故。他姓永泽,是东京大学法学院的学生,比我高两届。我们住在同一栋宿舍里,本来只是点头之交而已。有一天我在餐厅的向阳处一边晒太阳,一边看“华丽的盖兹比”时,他突然在我身旁坐了下来,问我在看什么。我说是“华丽的盖兹比”。他又接着问好不好看。我说我这已经是第三次了,每次重看便觉得越来越好看。
02
「『グレート・ギャツビイ』を三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」と彼は自分に言いきかせるように言った。そして我々は友だちになった。十月のことだった。
永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかははるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。
“看过三次『华丽的盖兹比』的人应该就可以和我作朋友了。”他喃喃说道。而后我们就成了朋友,那是十月的事。
永泽这个男人,你越是了解他,就越是觉得怪。在我的人生历程中,我曾和许许多多的怪人初遇、熟识,或是错身而过,却从未见过一个比他更怪的。他是个我万万赶不上的蛀书虫,但原则上他只读那些死后满三十年以上的作家的作品。“我只能信任那类的书。”他说。
今日主播--研
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