各位听众小伙伴大家晚上好~
今天将由 主播 kasumi 为我们继续带来
佐贺的超级阿嬷(27)
では、はじめましょう
佐贺的超级阿嬷
故事讲述了在8岁那年,小主人公德永昭广离开家乡广岛,来到佐贺的乡下老家。这里没有玩具,这里没有朋友,甚至连送他来的妈妈也转身离开,迎接德永昭广的只有低矮破旧的房屋,以及独立抚养了七个儿女的超级阿嬷。刚来阿嬷家的德永昭广无法适应这里的寒酸生活,但随着时光的流逝,德永昭广渐渐体味到了与阿嬷在一起生活所得到的幸福。
——岛田洋七
27
佐贺的超级阿嬷(27)
それからしばらく、俺は、雨の日も風の日も、毎日、毎日、その長い箱を持って学校に行き、算数だろうが社会だろうが机の上に置いていた。
図画の時間には、「ちょっとだけな」
と、隣の席の子に、金色や銀色のクレパスを使わせてあげた。
本当に嬉しかったけれど、かあちゃんの絵はやっぱり下手くそなピカソになってしまう。
あまりクレパスとは、関係なかったのかも知れない。
之后有一段时间,我不论刮风下雨,每天都带着长长的蜡笔盒去学校,不管是算术课还是社会课,都放在桌上。
到了画画的时间,旁边的同学跟我借金色或银色的蜡笔时,我也说:"只能用一点点啊。"
虽然我很高兴,但是我的母亲画像还是像笨拙的毕加索抽象画---画图的技巧或许跟用什么蜡笔没有关系。
第8章 かあちゃんと野球少年
小学校五年生になった年、俺は同級生たちと野球チームを作った。
当時、男の子はほとんど全員が野球ファンだったと思うが、俺の野球好きには別な理由があった。
毎年、夏休みになると広島のかあちゃんのところに帰ることができるのだが、かあちゃんは、俺が広島に帰ると必ず、広島市民球場へプロ野球を観に連れて行ってくれたのだ。
「夏休みにかあちゃんと、プロ野球を観に行ったよ」
「本当か?」
「嘘や!」
八 母亲和棒球少年
小学五年级那年,我和同学组织了一支棒球队。当时的男孩子几乎都是棒球迷,但我喜欢棒球还有别的原因。
每年一到暑假,我就可以回到广岛的母亲那里。每次到广岛,母亲一定带我去广岛市民球场看职业棒球赛(简称"职棒")。
"暑假时和我妈去看职棒了。"
"真的?"
"骗人!"
当時、野球観戦はまだまだ贅沢なことで、ド貧乏の俺が連れて行ってもらえる訳はないと、みんなが疑うのだった。
しかし、俺はそんな時のためにちゃんと「○月○日 広島ー巨人」と書かれた半券を置いている。
「ほら!」
「わあ、本当や」
「いいなあ」
那时看职棒还是很奢侈的事情,大家都怀疑生活赤贫的我不可能去看。但我早就为了这个时刻,事先特别留下写着"×月×日广岛 VS 巨人"的票根。
"你看!"
"哇!真的呢。"
"真棒!"
野球チケットの半券は、水戸黄門の印籠(いんろう)のようなもので、みんなは恐れ入ったとばかりにハハーッとなる。
そんなわけで、野球と言うのは俺にとって幸せの象徴みたいなものだったのだ。
加えて、自分で言うのも何だが運動神経もいい方だし、例によって走るのが速い。
俺は自分でプレイすることを覚えると、たちまち野球ファンから野球少年になっていった。放課後も日曜日も、学校に行っていない時間は、ほとんど野球をして過ごした。
今度こそ、本当にスポーツ少年の誕生だ。
职棒赛的票根就像水户黄门①在查案时亮出来的家徽,大家看了都惶恐地唯唯诺诺。因为这个缘故,棒球对我来说,仿佛是幸运的象征。
不是吹牛,我的运动神经很好,跑得很快,而当我想打棒球时,立刻就从棒球迷变成棒球少年。放学后和星期日,只要不上学的时间,我几乎都在打棒球中度过。这一下,运动少年真的诞生了。
本期主播
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主播/kasumi
小编/小郑
责编/日语之声
栏目/佐贺的超级阿嬷
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