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【日语共读】《心》夏目漱石(113)

【日语共读】《心》夏目漱石(113)

作者: 日语之声 | 来源:发表于2019-01-09 23:26 被阅读4次

       《心》讲述的是“先生”结识并爱上了房东家的小姐,同时也赢得了房东太太的好感,但却因年少时曾受到叔父的欺诈而对他人时存戒心,迟迟不能表白自己的心意。后来,“先生”的好友K住进了房东家里,也爱上了小姐,直率的K向好友“先生"表白了自己的心事,“先生”在表面上批评K“不求上进”,背地里却偷偷地向房东太太提出要和小姐结婚。知道了这一切真相之后的K在绝望中自杀了,同时K的死也留给“先生”一生的不安和自责,婚后的“先生”一直无法忘却K,他的内心无比的寂寞,终于也走上了自杀的道路。

「私が両親を亡(な)くしたのは、まだ私の廿歳(はたち)にならない時分でした。

  “我失去双亲,是在我还不到二十岁的时候。

   いつか妻(さい)があなたに話していたようにも記憶していますが、二人は同じ病気で死んだのです。

   记得妻曾对你说过,两个人患的是同样病症死去的。

   しかも妻があなたに不審を起させた通り、ほとんど同時といっていいくらいに、前後して死んだのです。

   而且还引起过你的怀疑,她又说几乎是同时,相继去世的。

  実をいうと、父の病気は恐るべき腸(ちょう)窒扶斯(チフス)でした。それが傍(そば)にいて看護をした母に伝染したのです。

   说实话,父亲患了可怕的伤寒病,接着便传染给在身旁看护的母亲。

 私は二人の間にできたたった一人の男の子でした。宅(うち)には相当の財産があったので、むしろ鷹揚(おうよう)に育てられました。

   我是他们唯一的男孩子。家里又很有钱,自幼生活倒是悠闲自在。

   私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくとも父か母かどっちか、片方で好(い)いから生きていてくれたなら、私はあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事ができたろうにと思います。

   我回顾自己的过去,如果那时双亲没有死,至少父母能有一个人在世的话,我想我那悠闲自在的脾气一定会持续到今天的吧。

   私は二人の後(あと)に茫然(ぼうぜん)として取り残されました。

   他们死后,丢下我一个,我茫然了。

   私には知識もなく、経験もなく、また分別もありませんでした。父の死ぬ時、母は傍にいる事ができませんでした。

   母の死ぬ時、母には父の死んだ事さえまだ知らせてなかったのです。

  我没有知识,又没有阅历,连分辨能力也没有。父亲死时,母亲没能在场。母亲死时,连父亲死的消息也没有告诉她。

   母はそれを覚(さと)っていたか、または傍(はた)のもののいうごとく、実際父は回復期に向いつつあるものと信じていたか、それは分りません。

    不知母亲究竟知道不知道还是如别人所说的那样,她还一心以为父亲真的正在恢复。这些我们都不得而知。

   母はただ叔父(おじ)に万事を頼んでいました。そこに居合(いあわ)せた私を指さすようにして、「この子をどうぞ何分(なにぶん)」といいました。

    总之,她把一切都托付给叔叔了。她象指着眼前的我说:‘这孩子,无论如何,请……’。

    私はその前から両親の許可を得て、東京へ出るはずになっていましたので、母はそれもついでにいうつもりらしかったのです。

   以前我已经得到父母同意,准备去东京求学,所以母亲也想顺带提一提的。

  それで「東京へ」とだけ付け加えましたら、叔父がすぐ後(あと)を引き取って、「よろしい決して心配しないがいい」と答えました。

    在她只说了一句‘去东京’时,叔叔马上接过去应道:‘好的,你就放心好了’。

   母は強い熱に堪え得(う)る体質の女なんでしたろうか、叔父は「確(しっ)かりしたものだ」といって、私に向って母の事を褒(ほ)めていました。しかしこれがはたして母の遺言であったのかどうだか、今考えると分らないのです。

   或许母亲的体质是真的能耐得住高烧,叔叔向我称赞过母亲‘真是个坚强的人’。但是,这是否就是母亲最后的遗言呢,我至今想来也不得而知。

 

 

主播介绍

本期主播:草微

本期编辑:LMN

责任编辑:日语之声

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